( 2016.10.16 )



 先日慶應大学において 「ミス慶応コンテスト」 を主催している大学公認のサークル、 『広告学研究会』 において、女性学生への性的暴行事件があったという報道が週刊誌に掲載され、現在ニュースで採りあげられるようになっています。

 11月20日に開催される予定であった今年の 「ミス慶応コンテスト」 が中止になっています。 その理由はこの 「広告学研究会」 において9月に未成年の飲酒が発覚し、大学が解散命令を出した( PDF )ことによりますが、週刊誌の報道が正確である場合、更に重大な違法行為が行なわれていたということになります。 この事件は現在進行形中で全容が解明されていないので、動向に注目したいと思います。

 しかしこの事件に関する報道を見て、10年以上前に起こったとある事件を思い出した方は多いのではないでしょうか。 それは2003年に発覚し、社会を騒がせた大学公認サークルの組織的女性暴行事件である 「スーパーフリー」 の起こした事件。



  


 「スーパーフリー」 とは何か。 知っている人には2000年代初めに起こった事件自体を連想させるものですが、その名前は早稲田大学に存在したイベント系サークルの名称。 早稲田のサークルではあるものの、実際は他の大学にも勧誘を行い、東大や慶大など様々な学生が集まっていたようです( 俗に言うインカレサークル )。
 当時各大学にこのような 「イベントサークル( イベサー )」 が多数存在し、 「イベント」 を度々催すなど大規模なものもありました。

 「スーパーフリー」 も2000年から事件が発覚するまでは、早稲田大学に同好会として公認された上で活動をしておりました( 事件発覚前の2002年に他の大学におけるビラまき等の行為でのクレームがあったことにより、公認を剥奪 )。 大阪・名古屋・札幌・福岡に支部も設立していたようです。

 ちなみに飲酒行為も度々行なわれていたようですが、当時は現在と比べて未成年の飲酒、大学生となる18~19歳くらいであるとも実際は社会的な監視の目( 提供した店が逮捕されるなど )が今ほど厳しくなかったのが大きいでしょう。

 当時の 「スーパーフリー」 の代表は和田という事件発覚当時28歳の男性( 8年在籍後除籍、その後再入学 )。 8年間代表を務めており、イベント会社としても 「有限会社スーパーフリー」 を経営していたとのこと。 ちなみにこの時点で 「業界」 に数々の人脈が出来ていたらしく、イベント開催などにあたってそれが活用されていたようです。

 以下、当時スーパーフリー公式サイトにあったとされている宣伝動画。 ちなみに当時はYouTubeもなかった時代です。



 その時に代表和田の周囲にいて支援をしていた人物が誰かというのは業界人から反グレまで今日まで噂としてネットに流れていますが、正確なところは確かめようがないために具体的には真偽不明状態になっています。 そのあたりのことが書かれたひとつとしては、和田のケツモチとして広告代理店の後に闇金や詐欺に関わったという男性の話をもとに書かれた本をノンフィクションライター溝口敦氏が出しておられます( ただしこれの内容を疑問を示す意見もあり )。


スーパーフリーの起こした事件


 しかしこの 「スーパーフリー」、派手なイベントの裏で、飲み会の時に女性に対して集団暴行( 輪姦行為 )が度々行われていました。 結成されたのは明治大学に同じような集団暴行行為をしているサークルが存在し、それを模倣して行ったと言われています。
 手口としては、狙った女性を酔いつぶし、介抱するふりとして連れだし、集団暴行を行うというもの。 それは主に派手なイベントを開催し、そこでの二次会において狙っていた女性をアルコール度数の強い 「スピリタス」 で酩酊状態にさせて行っていたとのこと。
 そのようなサークルの危険性や知り合いが少ない地方出身などの女子生徒が狙われていたようです。 また、サークル内でそれぞれの役割分担もあり、被害者の女性に泣き寝入りをさせるように工作をしたり、笑顔の写真を撮影してあとで同意の証拠とするような行為、もしくは 「ヤクザがついている」 という脅しも行なっていたという悪質なものでした。
 また、スーパーフリーには 「ギャルズ」 と呼ばれる女性スタッフもいたのですが、知人女性をイベントに連れてきて男性スタッフに 「献上」 し、結果として被害に遭わせた例もあると言われています( ただしギャルズからは逮捕者は出ておらず、週刊誌の報道のみなので詳細は不明 )。

 スーパーフリーはそのような行為を繰り返していましたが、2003年5月、パーティーで女子大生に暴行したとして、代表の和田含む4名が婦女暴行容疑で逮捕。 早大生の他、他大学の生徒も含まれていました。 容疑者は逮捕当初は 「同意の上での行為」 を主張。
 事件の凶悪性が報じられるとたちまち注目を浴び、週刊誌やワイドショーでその事件やサークルが紹介されることになり、 「スーパーフリー」 の悪名が広まってゆきました。 2003年の当時はインターネットの普及期だったのも大きく、そのことが当時の掲示板でもよく書き込まれていました。

 その後2003年6月から11月にかけて、和田容疑者らが起訴、更に追加で逮捕者も出ます。 最終的には少年も含めて14人の逮捕者が出ることになりました。
 起訴されたものは、2001年12月に和田の事務所での輪姦事件、2003年4月の六本木の居酒屋において18歳の女性を13人で暴行した事件、そして前述の2003年5月の女子大生暴行事件となります。
 逮捕容疑は準強姦罪( 当時は集団強姦罪の規定がなかった )。


事件の判決


 その後裁判が行われ、2004年に主犯格とされた和田に対し、懲役14年の判決が下ります。 被告側は判決を不服として2004年11月17日に控訴、ここで棄却となり上告。 最高裁では2005年11月1日棄却。 懲役14年の実刑とした1、2審判決が確定しました。
 そのほか準強姦罪で起訴された残りの13人においても、懲役数年の実刑判決が確定しているようです。
 ただ、この事件の被害者総数は、一説では400名以上とされていますが、起訴されたのはそのうち前述の3件のみ。 実際に被害を受けた女子生徒も、事件の性質上泣き寝入り状態になっている人が相当数いると言われています。
 当時サークルに関係していた人間で、事件に関わったのに逃げおおせた人がどのくらいいるのか、逆に本当は事件に関わってなかったのに名前が出て深く関わったようにされているのか、それらの真実の多くは藪の中となってしまいました。

 2013年、週刊誌( 週刊アサヒ芸能2013年8月8日号 )において 『 「スーパーフリー事件」 10年目の真実』 という記事が掲載され、当時の証言や主犯和田の獄中での手記などが掲載されました。

 現在、裁判から11年が経過し、主犯格以外の人間は刑期が満了しています。 さらに主犯格の刑期の満了は丁度来年か再来年あたりとなりますし、刑期が短縮されていると今年にはもう釈放されている可能性もあります。


スーパーフリー事件の影響


 この事件の影響としては、さまざまなものがありました。


刑法に 「集団強姦罪」 規定の追加
 平成16年の刑法改正において 「集団強姦等」 の規定が第178条の2の規定として追加され、2人以上の者が共同して強姦( 準強姦含む )した場合、4年以上の有期懲役に処すると刑が加重されることになりました。 尚、実際に性行為に参加していなくても、その場にいれば成立します。 ちなみにこの刑は現行の刑法第177条とは異なり、被害者の告訴がなければ公訴を提起出来ない 「親告罪」 の対象からは外れます。


「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」 発言問題
 また、この事件で当時与党の議員が少子化問題に関する討論会において、 「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」 という発言をしたことが国内外含めた各所で報じられ、問題となりました( 議員は一度落選した後、再当選で復帰、現在は引退 )。

      太田誠一議員の「レイプは元気」発言


Googleサジェスト裁判
 さらに時代は10年近く進み2012年、Google検索においてスーパーフリー事件を検索した際のサジェスト( 関連検索表示 )機能において 「スーパーフリー」 との関係を表示がされることで名誉が傷つけられたとして、都内の男性が米国のグーグル本社などを相手取り検索結果の削除と慰謝料などを求める訴訟を起こしました。
 当時の記事によると 『男性は都内の大学に在学していたころ、スーパーフリーに入会していたが、事件とは無関係だった。 だが、グーグルで検索すると、インターネット掲示板などのページが列挙され、男性がスーパーフリーの幹部で事件に関与したかのような書き込みが表示される』 という状態であったようです。

 東京地裁は名誉毀損を認めて30万円の損害賠償を命じましたがその後Googleが控訴。 2014年1月の東京高裁判決においては名誉毀損やプライバシー侵害は認定されずに逆転敗訴となりました。 その後上告された模様ですが、ニュースやネットでの判例検索などかなり調べても出てこなかったのでいまだ継続中なのか判決が出たのかなどは不明。 ただ、地裁判決が再逆転して認められていれば 「1日につき100万円の制裁金」 とした報道がなされていたので、その通りになっていればニュースになるとは思いますが ……。

      ( archive )名前検索の名誉毀損訴訟、米グーグル本社が控訴 : 社会 : YOMIURI ONLINE( 読売新聞 )
      グーグルが逆転勝訴 検索予測の表示差し止め、東京高裁で  :日本経済新聞
      Google 元スーパーフリー所属の男性へ7億円の支払い発生の可能性 - ライブドアニュース


その後大学で起きたサークル絡みの事件


 スーパーフリー事件の影響は大きく、また不景気や社会的規制、とりわけ未成年の飲酒における厳しさの変化( 場所を提供した側が検挙される事例など )もあってか、その後この手のサークルは以前ほどは( 少なくとも外部に対しては )目立たなくなってゆきます。 しかしながら近年、大学サークルにおける飲酒、女性暴行など似たような騒動が発生し、その度に問題となっています。


京都大学のアメリカンフットボール部集団暴行事件
 2005年12月、京都大学のアメリカンフットボール部の部員3人が、酒に酔った女性二人を集団強姦したとして逮捕されます。 この事件において前述の集団強姦罪の規定が適用されることになります。
 結果、一人が懲役4年6ヶ月の実刑判決、その他二人が執行猶予付の有罪判決。 京都大学は3人を放学( 復帰不可 )処分として、その年は同大学のアメフト部もその年春の競技会を辞退することになりました。
これはサークル( アメフト部 )は飲みサーではなく、サークル絡みの犯行というよりは所属部員の一部が起こした不祥事となりますが、 「集団強姦罪」 の適用例として重要なのでここで挙げておきます。

      京大アメフト元部員、集団強姦容疑で逮捕 - nikkansports.com > 社会ニュース


明治大学・日本女子大学 「クライステニスクラブ」
 2014年、明治大学と日本女子大学の合同サークル 「クライステニスクラブ」 のメンバーが新宿歌舞伎町において集団昏倒をしている様子が報じられ、話題となります。 その後未成年を交えた大量飲酒が発覚し、公認取消・廃部となりました。

      本学公認サークルの処分について | 明治大学
      新宿コマ劇場前で女子大生が集団昏倒した異常事態、明大公認サークル「クライス」でスピリタスカプセル使用か


東京大学 「東大誕生日研究会」 内強制わいせつ事件
 さらに今年( 2016年 )になり、東京大学の 「東大誕生日研究会」 というサークルの主要メンバーが強制わいせつ容疑で逮捕され、その手口の卑劣さも含めて週刊誌に掲載され、話題となりました。
 2016年9月に逮捕された5人のうち3人が起訴され、主犯格とされる被告に強制わいせつと暴行の罪で懲役2年の求刑がなされ、現在も裁判が進行中( 2016.10.15現在 )。

      強制わいせつ東大生5人が所属“ヤリサー”の卑劣な手口 「女子大生の局部にドライヤー」 | デイリー新潮
      「強制わいせつ」東大生に待ち受ける罰〜勘違いエリートの末路(週刊現代) | 現代ビジネス
      酔わせた女性に強制わいせつ 東大生に懲役2年求刑 東京地裁 - 産経ニュース


過度な飲酒における死亡事例
 また、過度な飲酒における死亡事例も度々発生しております。

      立教大学テニスサークルにおける急性アルコール中毒死事件のあらまし
      亡き息子に、親ができること
      「東大コンパで泥酔死亡」責任は誰に? 「両親が1.7億円賠償請求」めぐり論議 : J-CASTニュース


  そして今回の慶應大学における騒動となります。



事件から10年以上経過していることでの風化


 スーパーフリー事件からすでに15年以上が経ち、現在の大学生の中にはその当時まだ物心つかなかった年齢の人もいますし、もうあの手のサークルが全盛だった時代には生まれてなかったという人も増えてくるでしょう。 そもそも大学というところは、毎年人が変わり、4年も経つと大半の人が入れ替わってしまうところです。 ということはその分そういった問題点の記憶も薄れがちで、生徒間だけでは危機意識の継承もされにくいのが現状です。

 風化しつつある現在、 このような事件のことやその危険性を思い出し、 それを現在の学生に伝え、 しないよう、 させないように警告をするのも、 大学をはじめとして先のスーパーフリー事件を知る大人の役目ではないでしょうか。 それは例えば1990年代に話題となったけど、 今風化しつつありその手の偽装サークルが大学内外に存在しているカルト系サークルやマルチ商法サークルにおける危険性も同じでしょう。



- 追記 -

 慶應大学の事件においてはまだ事件の全容が掴めていない状況ですが、仮にスーパーフリーと似たことになった場合、かつてそれによる世論の高まりで集団強姦罪が制定されたように、今議論されている性犯罪への重罰化における、強姦罪の非親告罪化の議論も加速する可能性があるように思えました。

 あと、事件の根本にスーフリと同じような組織的、人脈的な要因、泣き寝入りになっているような案件がなかったかも被害者を傷つけないように配慮しつつ注目する必要があるでしょう。





( 2016.10.22 )

     

……

 名門大学で信じがたい疑惑が浮上している。 神奈川県葉山町にある合宿施設で、慶応大学の広告学研究会(広研)の男子学生数人から乱暴されたとして、同大学の10代の女子学生が県警に被害届を提出。 県警は被害届を受理し、捜査に乗り出している。 未成年の女子学生に酒を飲ませて集団で乱暴 ──。 さらに、動画なども撮影しているといい、事実ならば鬼畜の犯行と言わざるを得ない。

 嫌がる女性を無理やり …


女子学生が乱暴を受けたとされる合宿施設。神社に隣接し、人通りは少ない
(神奈川県葉山町)
 広研は大正13年設立の歴史ある団体で、 「ミス慶応コンテスト」 の企画・運営を手がける。 大学側は 「未成年者の飲酒」 を理由に広研を解散させ、ミスコンは中止となった。

 今後、捜査は警察の手に委ねられるが、関係者にも動揺が広がっている。

 「一回くらい手伝いに来てほしい」

 女子学生の 「ライン」 に広研の男子学生から連絡がきたのは8月下旬。 海の家の片付けに来てほしいということだった。

 関係者によると、女子学生は広研に所属していなかったが、入学直後の新入生歓迎会に参加していたため、連絡先はお互いに知っていた。 本人は会費も払っておらず、広研に所属しているという認識はなかったが、男子学生から 「これまで出席義務のあるイベントに来ていないので、片付けには参加してほしい」 と頼まれたのだ。

 9月2日、1年の男子学生2人と3人で葉山町の海の家の片付けに向かった。 現地では男子学生3人と合流。 女子学生はこの時まで、女性は自分だけということを知らなかったという。

 夕食をとるため、海の家近くの合宿所に向かった。 それが、屈辱的な時間の始まりだった。

 午後8時ごろ、合宿所2階で飲み会が始まった。 未成年の女子学生に男子学生らはテキーラを持ち出して飲酒を強要。 連続で5杯など、最終的に10杯ほど飲まされた。 女子学生は拒否しようにも、酩酊状態でなすすべもなかった。 服は脱がされて暴行を受け、あげく尿もかけられたという。 暴行の際には動画も撮影された。

 現場にいたのは1、2年生の男子学生が5人。

 1階には別の学生1人がいたが、犯行には関わっていないという。

 翌日、合宿所から抜け出し、途中で気分が悪くなって救急搬送された。 母親に事の次第を告げたことで、問題が明らかになった。 女子学生は神奈川県警に被害届を提出。 県警が捜査に乗り出している。


 大学側 「事件性を確認するには至らなかった」

 女子学生の母親からの連絡で大学は問題を把握し、関係者から調査した。

 その結果、10月4日に大学は広研に解散命令を出したが、理由は未成年者飲酒で暴行については触れられていなかった。 大学側は12日付で 「可能な限りの調査を行ったが、事件性を確認するには至らなかった」 などとする見解を発表し、隠蔽については否定した。 同大広報室は 「性行為があったことは認識している」 とした上で、事件性が確認された場合は 「厳正な対処を行う」 という。

 広研に友人がいるという男子学生(19)によると、 「広研の学生は 『女子学生とは合意があった』 と主張している」 と証言。 さらに、 「女子学生が、親に言ったから問題が大きくなった。 合意があったのに、勝手に騒いでいるだけと周囲に説明している」 と明かす。

 この問題の影響で広研が主催するミスコンは中止となった。 ミスコンは女子アナへの登竜門として全国的に知られ、学園祭でも目玉企画だった。

 広研は今回問題を起こした海の家を運営するグループ▽ミスコンを開くグループ▽機関誌を発行するグループ-の3つに分かれているという。 広研は過去にも不祥事を起こすなどしており、学内では 「危ない団体」 という認識もあったようだ。

 平成21年に、部員が東急東横線日吉駅構内を全裸で走り、公然わいせつ容疑で書類送検された際は、翌年のミスコンが中止となった。 飲み会も過激だったことで知られていた。 新入生歓迎会に参加した男性(19)は 「100人くらい参加したけど、残ったのは20から30人くらい。いわゆる “飲みサー” (飲み会サークル)で合わないと感じる人も多かった」 と話す。


 合宿所と海の家 「来年は白紙」

 事件現場となった合宿所がある葉山町でも衝撃は広がっている。

 合宿所は葉山御用邸の近くにある神社の隣にある。 合宿所は慶応大専用ではなく、地域で使われている建物だ。 「氏子会館」 と呼ばれ、地元の祭りではカラオケ大会などが開かれているという。

 会館を管理する氏子会会長の男性(75)によると、広研には約60年前から夏の間に貸し出していたという。 今後については 「団体が解散しているし、白紙。 学生と話し合う必要があるが、まだ連絡もなにもない」。

 近隣住民も思いはさまざまだ。 近所の主婦(70)は 「夏の夜はうるさくて眠れない。 叫び声もよく聞こえる」 と不満をのぞかせる。 近年の風紀の乱れを指摘する声もあった。 別の主婦(44)は 「自分が小さいころは大学生のお兄さんやお姉さんと遊んだこともあったし、挨拶もしっかりしていた。 夜道が暗くて不安な時も、学生の笑い声が聞こえていて防犯に役立っていた」 と振り返る。 「ここ数年は挨拶もない。 飲んで騒ぐのは若いから仕方がないにしても、乱暴行為などは一線を越えている」。

 海の家も、廃止の公算が大きそうだ。 葉山町によると、海岸に海の家などの建物を建てることなどは県が申請可否を判断するが、申請は組合が行うため、組合の許可がなければ営業できない。

 広研が所属する 「県立葉山公園下海岸営業組合」 の関係者は 「少なくとも来年は海の家をやらせない方向」 という。 同団体は過去にも問題を起こしており 「次に何かあったら最後、という話は常々していた。 今後の営業も考えにくい」 と憤りを隠せない。 一方で、 「彼らが地元にお金を落としてくれていた側面もある。 伝統ある活動だったし、こうしたことで終わってしまうのは本当に残念」 と肩を落とした。

 名門大学で突如として起こった集団乱暴疑惑。 真相解明が待たれるが、周囲に与えた影響はあまりにも大きい。





( 2019.12.27 )

   
はじめに

 以下に掲げるのは集団レイプ事件の被害女性A子さんの話だ。 彼女とはいまだにメールのやりとりや、時々会うという関係を続けているが、事件からもう20年以上経つにもかかわらず、いまだに後遺症に苦しんでいる。
 後半に掲げた彼女の闘病日記は本誌の2011年12月号と翌年1月号に掲載したものだが、ヤフーニュースに掲載したところ、300万以上のアクセスがあった。
 性犯罪は 「被害者の魂も犯す」 と言われるが、まさにその実例だ。 彼女の闘病日記は詳細で、とてもここに全文掲載できないので、主要部分を抜粋した。

12年ぶりに再会した被害女性の手首には

A子さんがつづった闘病日記
 A子さんが 『創』 編集部を訪ねてきたのは2011年9月初めだった。 本人から電話があり、会いたいということだった。 12年ぶりの再会だった。
 編集部を訪れた彼女は、声もか細く、今にも倒れそうな弱々しい印象だった。 手首に包帯を巻いているのは、明らかにリストカットの跡であった。
 彼女は1998年に大々的に報道された某大学集団レイプ事件の被害女性である。 当時はまだ19歳。 この被害女性に直接会って話を聞いたのは本誌だけだった。
 事件は97年11月13日未明に起きた。 彼女が警察に被害届を出して捜査が動き出し、学生らが次々と逮捕されたのは98年1月20日だった。 計8人の学生はいずれも実名・顔写真入りで、 「レイプ犯」 「鬼畜」 などとセンセーショナルに報じられた。 20日に逮捕されたのは5人、その後24日に他大学の学生も含め3人が逮捕された。
 当時、本誌がこの事件に取り組んだのは、逮捕された学生のうち2年生だった2人の親たちが、あまりにセンセーショナルな報道に反発し、BPO(放送倫理・番組向上機構)に申し立てたり、週刊誌を提訴したのがきっかけだった。 当時の報道が事実と違う内容も多く、あまりにひどいというのだった。
 報道内容を検証するために、事件に関わった学生たちに個別にあたり、逮捕された学生のうち4人に話を聞けた。 そして被害女性にも接触した。 1カ月近く続いた騒動だったが、当事者に直接取材したメディアはほとんどなかった。
 そもそも被害女性の母親も取材は受けたことがないと言うのだが、幾つかの週刊誌には堂々とコメントが掲載されていた。 恐らく警察から情報を得たのだろうが、伝聞情報を 「告白」 などと銘打って載せたものだったため、細かい事実関係は間違いだらけだった。
 まだ騒動の渦中だったため、本誌の取材に応じてくれた人たちも冷静というわけにはいかなかった。 特に被害女性のA子さんには母親と一緒に話を聞いたのだが、事件について話しながら涙を流し、取材の途中で呼吸困難に陥った。
 そして、その彼女が事件から12年を経て、編集部を訪ねてきたのだった。
 実は彼女は、事件によるPTSDから抜け出せず、心に深い傷を負ったままだった。 この間も、リストカットなど自傷行為を繰り返し、突発性難聴や原因不明の高熱も続いているという。 そして彼女は、何とかそこから抜け出すために、敢えて事件と向き合うことを決め、編集部を訪ねてきたという。 両親は、彼女がこれ以上傷つかないようにと事件についての報道は極力見せないようにしていたため、彼女は自分の証言の載った本誌をまだ読んでいなかったのだという。
 事件と向き合うことで、自分のトラウマを克服しようというのは、投薬治療では限界があると判断した精神科医の勧めでもあり、母親もそう思ったのだという。
 その後、私は本人から何度か話を聞き、12年ぶりに彼女の実家も訪ねて母親にも話を聞いた。 A子さんは、治療のために専門医にも足を運んでいた。 そして、そうしたプロセスを日記に記し、自分自身を見つめようとし始めたのだった。

示談を経て不起訴に終わったレイプ事件
 集団暴行事件が発生したのは1997年11月13日未明だったが、前夜の午後11時頃、某大学運動部約10人が、八丁堀のカラオケボックスに集合した。 そこはメンバーの一人がアルバイトをしており、12時を過ぎると社員は帰宅してバイトだけになるので、ほぼ貸し切りで飲み会ができると判断したのだった。
 部員たちは1階で待ち合わせた後、3階のパーティールームに移動し、飲み会を始めた。 当時、赤坂の居酒屋でバイトをしていたBは12時過ぎに東京駅で、事前に連絡していた女性2人と落ち合い、カラオケボックスに合流する。 実は被害女性A子さんは彼の元交際相手で、友人の女性を連れて飲み会に来てくれないかと誘われていたのだった。 A子さんはそれに応じたものだが、ただ部員らが10人もそこに待っていることは現場に行くまで知らなかったという。
 Bと付き合うようになったのは、A子さんが高校生の時、友人を介して知り合ったのがきっかけだった。 何度かデートを重ねたのだが、そのうちに 「お気に入りの子が他にできたらしい」 と友人に聞かされ、彼女は自分から電話で別れを告げた。 しかし、Bに好意を抱いていたようで、後に社会人になってから再び連絡を受けて再会し、交際が復活した。 深い関係になったのはその時だった。 そしてその再会から何カ月か後に事件にあったのだった。 果たしてBが了解のうえでその事件が起きたのか、あるいは偶発的にそうなったのか。 A子さん自身、いまだに真相はわからない。
 カラオケボックスに合流した後、アルコールが飲めないA子さんは、彼女に目をつけた他の部員に半ば強引に酒を飲まされ、酔ってしまう。 他の連中がパーティールーム16号室で騒いでいる間に、同じフロアにある小さな別室13号室に誘われたA子さんは、そこでBと合意のうえ性行為を行った。
 ところが彼は気分が悪くなって、トイレへ行くと言って出て行ったまま帰ってこない。 彼女が衣服を着たところへ、その前から彼女にちょっかいを出していたCが入ってきた。 そして彼が性行為を強要したという。 他の男たちもやってきたので、彼女は、 「Bはどこ? Bを呼んで」 と助けを求めるが、応答はなかった。 Bはその部屋の前の女子トイレで酔いつぶれて寝込んでしまったのだという。
 A子さんは男たちに囲まれ、威嚇された。 殺されるのではないかという恐怖に襲われ、抵抗するすべもなかった。 ただ、このあたりについては、当事者たちの話も食い違いを見せる。 そもそもその部屋はうす暗かったし、途中から呼ばれてやってきた者のなかには状況を理解できない者もいたらしい。 後に取材に対して 「嫌がる女性を無理やり強姦するほど俺達だってバカじゃないですよ」 と容疑を否定する者もいた。
 A子さんは翌朝解放されるのだが、彼女は、Bもグルだったのではないかと疑った。 警察もそう考えたようで、レイプ現場にいなかったにもかかわらずBも逮捕された。 ただ、警察が疑った事前共謀はどうやら立証は難しいと判断されたようだ。 Bは、私の取材にも応じて、寝入っていた間、何が起きていたのか知らないと答えた。
 よくわからないのは、事件のあった13日の午後に、Bが何も知らない様子でA子さんに電話をかけてきたことだ。 Bは、呼びだしたのに酔いつぶれてしまったことを謝ろうと電話したのだという。 ただ、事件で憔悴していたA子さんからすれば、その電話で彼が笑っていたのが信じられなかった、という。
 彼女はその後、警察に届けた方がよいとアドバイスされ、悩んだ末に母親に事情を打ち明け、警察に被害届を出した(正式に受理されたのは11月20日付)。 警察で何度か事情を聞かれ、告訴したのは12月24日だった。
 年明けの1月19日、大学生5人が警察に呼ばれ、20日未明に逮捕状が執行された。 前夜からマスコミの取材報道が始まり、逮捕後の朝のワイドショーはこの事件の報道一色になった。

事件は当事者たちに何を残したのか
 こう書いてくると、事件の経過は明白に見えるが、実はそう簡単ではない。 逮捕された学生たちは警察の取り調べに対して外形的事実は認めたが、レイプと呼ぶようなことはしていないという主張だった。 密室での行為だっただけに、裁判での立証は簡単ではないと思われた。
 最初に逮捕された5人が勾留満期になる2月9日、学生7人と被害者との間で示談が成立した。 その間、逮捕された学生の親のなかには、いきなりA子さんの自宅を訪れて土下座した人もいたという。 示談成立にあたっては、逮捕学生の親たちや弁護士の強い働きかけがあったようだ。 裁判になったら被害者側も再び辛い目にあう。 そういう説得を受けて、A子さん側も折れることになったらしい。
 結局、逮捕された学生8人が処分保留のまま釈放、後に不起訴となった。 学生たちが釈放された夜、大学は記者会見を行い、14日に学生たちの処分を発表。 事実認定は難しいとして、迷惑をかけたことが処分の理由だった。
 集団レイプ事件の真相はどうだったのか。 不起訴となったことで、細かい事実の確定は結局行われないままとなった。 ただ、被害者であるA子さんが、深い心の傷を負ったのは確かだった。 特に信頼していた交際相手の男性に騙されたのではないかという疑念は、彼女を苦しめたようで、A子さんはBに本心を聞きたいというのだった。
 編集部を訪れたA子さんは事件について語るたびにボロボロと涙を流した。 トラウマを乗り越えようとする彼女を応援したいという思いから、本誌は彼女の日記を公開することにした。

A子さんの壮絶な闘病日記

●9月×日
 今日、篠田さんに会いに行った。
 あの時以来、私の中で止まったままの思いが逆転。 篠田さんからBの話が出たときは少し混乱した。 彼等のことを聞くつもりは一切なかったので、ずっと震えが止まらず、何をどう話したかさえ忘れかけているけれど、今まで私が、この先~したかった、~したいという想いは伝えられたのかと……。
 当時の雑誌はもうないらしく、私と母へとコピーをくれた。 その時はまだ見られなく目を背けるので一杯だった……。
 そして今、初めて開いた。誰かの拘留中日記なんか関係ない。 読む気にもならない。
 そして最初は(もうB以外の名前を覚えていない)その中の誰かの証言。 頭の中の崩れたパズルが蘇ってくる。 嘘!嘘!嘘!!! 「真実」 と言いながら何故嘘をつく!?
 勿論、合っている部分もあるが、私をそんな風にとらえていたの? それとも自分を守るため?? 物凄く情けなくなった……。 次々に色んな事が書かれてあり、蘇った記憶との相違点が次々と浮上。
 私、大勢だなんて一言も聞かされてなかった。 BとのSEXの後、すぐ服を着て、Bが戻ってくるの待ってた。 でも笑いながら嫌だった人が入ってきた。 抵抗して泣き叫んだ。 Bの名前を大声で何度も叫んだ。 大声で叫べば誰かが気付いてくれると思った。 「Bは来ねーよ」 その言葉 …… 聞こえてきた。 そこからは思い出せない……。
 気づいた時には大きくて怖い人がいた。 泣いたのか抵抗したのか、私が声を上げると 「うるせー女だ」 「なぐるぞ」 「下の毛燃やすぞ」 とライターの火を目の前に …… そこはハッキリ覚えてる。 毎日見る悪夢。 誰が誰かわからない。 沢山された。 抵抗したって無駄だとあきらめた。 こんな身体の人たちに抵抗したって無駄。 殺されると。
 水が欲しい、と言ったら水を顔にかけられた。 …… もう覚えていない ……。
 服を着て? エレベーターに乗ってYちゃんと、もう一人の男の人と駅で少し話して帰った。
 バイバイした後、電車に飛びこもうとした。 何故生きて家に戻ったんだろう?
 思い返す度、記事を見る度に 「違う!」 「違う!」 と心が叫ぶ。
 当時の私、きっと混乱でいっぱいだったのだろう。 なぜあんな目にあってもBの事を気にしていたのか ……。 確かにBの事、本当に好きだった。
「真実」 を知って欲しい。 今更だけど、訂正したい。 そして記憶から消えて欲しい。 それは無理だけど …… せめて 「真実」 をどうか ……。
●9月×日
 昨日は一睡もできず。 何度も眠剤、安定剤を追加したが全く効かず ……。 まあ慣れているけど ……。 昨夜、母と少し話をした。 今後の事、病院の事等 …… その中でずーっと精神科やカウンセラーを拒否(拒絶)している理由もわかった気がする。
 確かに沢山学んで、臨床を重ねられている方もおり、全員を否定という訳ではないが、皆実際に同じ事を体験してきたのだろうか? たとえ体験したり沢山の患者さんを診てきたとしても、表面でしかくくれないのではないか? と。 実際自分自身も色んな病院、カウンセリング等で治療を試みたが、いつも引っ掛かっていた。 要は 「不信」 なのであろう。
 同じ病名でも指紋のように一人一人違う。 そこまで見るのは限界があるから? 心から信頼できる医師、カウンセラーに会ってみたい。
●9月×日
 一昨日も昨日も、ただただ寝込むだけ。 薬とリスカで現実逃避。 入院中から始めようと購入した写経セットを始めてみたが、手が震え、集中力ももたず、結局3分の1がやっと。 でも気持ちは込めた。
 昨日はBの事が頭にずっと浮かんだ。 色んな事を思い出した。 高校の時の付き合っていた時、練習後に急いで近所まで来てくれ、公園で誕生日プレゼントにもらった香水。 Xmasには3組でPArtyをし、コンビニに行った時恥ずかしそうに差し出した小箱、指輪だった。 涙が出まくるほど嬉しかったのを想い出す。 こんな思い出あったんだね。
 あの頃の彼が、私が止まったままなのかも。 彼がずっとつけてた香水、今でも持ってる。 嗅ぐと眠くなる ……。
 別れた日もハッキリ記憶している。 彼に他に好きな人が出来、一緒にボーリングに行ったと彼の友人から聞き、その晩、親友の家に泊まって、そこから電話をし、別れを告げた。 数秒の沈黙があったが、 「いいよ …… わかった ……」 と。
 そして翌朝阪神大震災があった。
 事件の時の事もどんどん思い出していく。 部屋に初めて入った時、おどろいた。 何らかの怖さもあった。 だって、 「先輩と飲むから女の子1~2人連れてきて」 って言われたから、コンパみたく、男の人も2~3人だと思ってた。 けど、Bがいるし、周りも彼女みたく思ってくれているんだろうなと思って ……。 ばかだ。 すぐにでも帰れば良かった。 電車なくても歩いてでも。
 そういえば、何でBは離れた席にいたの? 私が一番嫌だった人に口移しで梅酒を飲まされた時も、すみれSeptemberが流れてた。 あの曲きくたび今でも気が狂う。
 皆、若気の至りで済ませてるの? あの時の気持ち教えてよ ……。 巡る記憶が破壊していく ……。 こわれてく。
●9月×日
 今日も朝から頭痛、吐き気、胃の痛み、耳鳴り …… 諸々と体調が×。 でも動かなければ体力も脳も低下する。 少し頑張って銀行へ。たった300メートルくらいなのにまたダウン。 情けない。 横になっている間に篠田さんへ記事を読んだ感想等をメールしてみた。
 もう思い出すのは無理だろうと思っていた事、どんどん蘇ってくる。 また黒い影が追ってくる。 突然あらわれる黒い影。 やっとわかった。 あの日Bが出ていってから入ってきたあの一番嫌な人だ。 もう名前も顔もわからない。 でも、Bの同級生で、私に口移しでお酒を飲ませた人。 近付いてくる …… 逃げなきゃ …… 来ないで ……。 たすけて ……。
●9月×日
 今日は家族の誕生日。 頑張って起きて最高の誕生日に!! と思っていたもののダメ ……。 イライラ、フラフラ、暴言、自傷(トイレにこもって壁(石)に左肘を何十回以上も打ちつける)。 おもいっきり打っても痛くない。 痛くないと意味がない。 ヒビが入るんじゃないかって位、強打した時、痛いハズなのに何故か嬉しかった。 皆に当たったバチだ。 罰だ。 そうしなきゃ気が済まない。 人の心を傷付けたんだから当たり前。
●9月×日
 私は最悪。 最低。 苦しいからと ……。 「自分が苦しいから」 と皆に負担を掛けている。 少しでも光を見つけると、そこを頼りに図々しく甘えまくってしまう。 この依存治さなきゃな。 自制がきくようになりたい。 今日も篠田さんが忙しいのわかってた上で自分の事ばかりでメールしてしまった ……。 焦らず …… と思っていても止められない。 頭の中に 「生か死か」 の2択ばかりになってしまう ……。
 薬、飲んでも飲んでも眠れない。 暗闇が怖い。 人の気配が怖い。 薬ほんのり効いてる、けど眠れない。
●9月×日
 母親らしい事、何も出来ておらず ……。 下の子が金魚を見て、すっごく喜んだ時、 「いつか早く水族館に」 って母に介助してもらいながら水族館へ。 子供は大喜び。 良かった。 水族館自体、私とーっても大好きだったはずなのに、何の気持ち、嬉しさ、楽しさが …… 何の感覚もない。
 ただどこかの空間、人の中にポツンと ……。 大好きな場所さえ興味なくなっちゃったの ……? 魚達を見てるの好きなのに。 何で? 何の感覚も出ないって ……。 でも、そんな自分にはこうやって書いてみて、はじめて気付く。 これは心の整理ノートになるのかな? なるといいな。 このノートがいっぱいになった時、初めて最初から見てみよう。 今は怖くて開けないから。 どんな事書いてあるのだろう ……。
 朝から食後の胃痛が激痛になった。 ぶどう一粒でも痛い。 食べてない間でも痛い、また胃カメラかな ……。 そろそろ杖も用意しないと。 お天気の日に傘持ってたら変だもんね。 いつまでも傘を杖代わりはムリかな。
 携帯や知人伝いに 「EMDR」 という治療法を見た。 85%の治癒率 …… やってみたい。

当時逮捕された男性に接触を試みた
 この時期、A子さんは医者の治療を受けながら、毎日、日記を書いてある程度たまるごとに送ってきた。 彼女が久々に事件のことを思い出し、事件と向き合うというプロセスだった。 引用した部分からでもわかるように、彼女はBに好意を寄せていた。 そして事件によって突然関係を断たれ、その後、一度も会っていない。 彼女の中で、12年たってもBの存在が微妙な影を落としているのは、日記からも読み取れた。
 この事件をもとに書かれた吉田修一さんの小説 『さよなら渓谷』 では、レイプ事件の加害者と被害者が、その後再会し、同居を始める。 もちろんそれはフィクションなのだが、吉田さんはもしかすると、当事者らの関係や証言を詳しく掲載した 『創』 を参考資料として読んだのかもしれない。 加害者と被害者の交錯する思いが小説のモチーフになっていて、それを原作にした映画を映画館で観た時、私はフィクションなのにリアリティに満ちたその内容に驚いた。
 さて、A子さんが12年ぶりに私を訪ねてきた理由を、最初は、事件当時の 『創』 誌面を見たいと語っていたのだが、彼女と接触するうちに、それだけではないことがわかってきた。 吉田さんの小説ではないが、彼女はBに接触を試みようとしていたのだった。
 以前交際していたから、彼女は彼の自宅を覚えており、まず手紙を書いてみようと考えた。 しかし、彼女からその相談を受けた私としては、相手が 「何をいまさら」 と反発するのが予想できた。
 昔好きだったBに会うという彼女の思いは、もしかすると彼女の精神的病を一気に治すことにつながるかもしれない。 だから私は、無謀とも思えたその提案を手助けすることにした。 ただ一方で、問題がこじれると、A子さんをさらに精神的に追い詰めることになることも予想できた。 どうすべきか悩んだ末に、私は彼女の提案に賭けてみることにした。

 A子さんが直接Bを訪ねるというのはありえないことだったので、まず私が代理として接触することにした。 事件当時、取材で私はBにも会って話を聞いており、面識があったからだ。 しかもBの印象は悪くない、まさに好青年というものだった。 そこでまず、Bに 「会いたい」 という手紙を書いたのだった。
 通常ならレイプ事件の被害者と加害者が再会するなどありえないことだ。 でも日記を読めばわかるように、彼女のBへの思いはなかなか複雑だ。 不信の念と、それでも信じたいという思いとが、交錯しているのだ。
 集団レイプの現場にいなかったにもかかわらず逮捕されたことでわかるように、この事件へのBの関わりはなかなか微妙だ。 本人は、酔いつぶれて寝入ってしまい、集団レイプがあったことは全く知らなかった、後で友人から聞いてびっくりしたと供述した。 つまり逮捕自体が誤認だったという主張だ。 それが本当ならBは冤罪の被害者ということになる。
   しかし、なぜ彼が逮捕されたかというと、A子さんが、実はBもグルだったのではないかと疑ったからだ。 警察も当初、事前共謀という線で捜査を進めていたという。 ただ結局、立件は難しいということになった。 恐らくA子さんの内面にそのことはひっかかっていて、真相を直接Bに質したいと考えたのだろう。

 B宛てに書いた手紙を出して数日後、彼の父親から私に電話があった。 予想通り、今さら事件を蒸し返して何になるのかという反発の返事だった。 印象に残ったのは 「息子も大学を退学となり、十字架を背負って生きているのだ」 という言葉だった。
 あれだけの事件になったのだから、加害者とされた側も十字架を背負わされたのは確かだろう。 事件は不起訴となったが、実名・顔写真入りの大報道は、裁判所がくだすべき以上の大きな処罰を当事者たちに与えたに違いない。
 それから何日かして、Bと父親からの手紙が届いた。 内容は厳しいものだが、そんなふうに返事を送ってきたこと自体、Bの精いっぱいの誠意のあらわれであるように思えた。
 この度、お手紙を頂きまして、大変迷惑をしているのが本心です。 あれから13年経過して、自分も、事件の事を背負って、苦しみ、悩み、又、忘れようとして頑張ってやってきましたが、ここに来て、なんで今更というのが本心です。 事件の首謀者にまつりあげられ、まったく身に覚えがない事まで言われ苦悩したが、彼女を呼んだ事の事実は消しようもない、その責任は充分感じていますし、自分は男だからどんな事でも耐えて生きて行くつもりです。
 手紙はこの後、示談が成立したのにどうして、という疑問が表明され、次のように書かれていた。 示談は成立したものの、彼女に直接詫びるという行為がなされていないではないか、と私が書いたことへの反論だった。
 私が釈放された際、私と両親ですぐその足で、ご自宅に赴き謝罪するつもりでお電話をさしあげたところ、お母さんから、もう一切関わりたくないので来ないよう強く言われましたので、謝罪にお伺いできませんでした。 だから、一切謝罪がないという彼女の見解は間違っております。
 恐らくA子さんとしては、自分のPTSD状態から脱却するために、Bに再び会って事件と向き合いたいと考えたのだろうが、この手紙でそれは一頓挫を余儀なくされた。

「深い地底にハシゴが降りた」
 Bと父親からのメッセージはもちろんA子さんに伝えた。 その結果を彼女がどう受け止めたのか、日記をもう少し引用しよう。

●10月×日
 昨夜、日記を読み返すと共にネットで事件の事が何かないかと調べた。 不起訴になった今、もう殆ど情報はなかった。 中には 「不起訴になったのは女にも非があるからだ ……(以下言葉がひどすぎて書けない)」 という言葉も。 最初に帰らなかった私がバカだったのか ……?
 そんな中でも思いやりの言葉を書いてくれている人が沢山いた。 苦しかったが周囲の反応、特にネット上という顔の見えないところでの様々な受け方を見たという事は更に今後の認識度を高めたいという気持ちに繋がった。 書いて思い出す今も震えは止まらない。 なんだか涙が溢れてきた。 何に対する涙かは不明。 ペンを握る力もなくなってきた ……。
●11月×日
 先日篠田さんがBに手紙を書いてくださると言った。 どうなったのかな …… 届いたのだろうか。 届いたとしても返事なんてないんだろうな。 でも私もきちんと文が書ける時に早急に書きたい。
 苦しい。 呼吸が止まりそう ……。
●11月×日
 僅かな眠りの中、いつもの悪夢と少し違う夢を見た。 交際当時のBと私。 以前書いた公園にいる。 その後、突然暗闇・崖の上。恐怖心と共に取り残された自分だけのまま目が覚める。 夢の中の彼は無表情。 いや表情すらわからなかったかも。
 夕方篠田さんから連絡があり、Bからレスポンスがあったと。 内容はまだわからない。 少し嫌な予感。
 今日も些細な事で激しく落ち込む事があった。 何も出来ない私が悪い。 トイレに閉じこもり、うずくまり頭を抱えながら泣き唸り、自傷行為に走り …… そうになったが、また今日も何度かの葛藤の末防げた。
 正直消えたい。 何の役にも立たない。
●11月×日
 何も出来なかった。 ひたすら落ち込んでしまった。 色々と考えメモを残そうとしてもペンすら握れず。 正直、遺書は用意し始めている。 そう、生きる気力がなくなり、私が前を向こうとすればする程、周囲を巻き込み、相当な迷惑をかけているんだな …… と。
 線路の上を歩いている時にカンカンと警報音が鳴り始め、急げない私はそのまま立ち止まる事を考え止まった。 このまま死んじゃえばいいのに。 でも周囲が気付き、それこそ更にまた迷惑な話。 どうしたら良いのだろう? 存在している意味がわからない。
 悲しい。 悲しいよ。 沢山泣いた。 一日中泣いていた。 今も止まらない。 涙は悲しみを流し、気持ちを切り替えてくれると言うけれど、一向に流れていかない。 胸が痛い。
●11月×日
 ふと …… 真っ暗闇の深い地底にハシゴが降りた。 登れる力がない。 しかし力をつければ登れる。

 日記の引用はこのくらいにしておこう。 レイプ事件そのものからはもう20年になるわけだが、本誌はいまもA子さんとやりとりを続けており、近々また会う予定だ。
 生きて行くのが精いっぱいという現実の中でも、自分の辛い経験が社会に何かを考えてもらうきっかけになってくれたら嬉しいという彼女の思いがある限り、本誌はフォローを続けようと思う。