Super Free 調査報道


 今年の6/18に 「美人局」マニュアル作り恐喝容疑で早稲田大学理工学部の学生が逮捕され、その翌日にはイベントサークル「スーパーフリー(以下、スーフリ)」メンバーの早大生を含む5名が逮捕されて犯罪行為に手を染めていた疑いが報じられました。これらの事態を受けて19日に早稲田大学は謝罪会見を行い、23日から24日にかけては早稲田大学学生部が全学生へ向けて「学生としての品位を守り大学に協力していただきたい。そのような地道な努力を積み重ねることこそ、早稲田大学の誇りです」とのメッセージをメールで発信しました。早大絡みの事件が立て続けに起こり、多くのマスメディアにも両事件のことは大きく報じられています。

 早稲田リンクスは以前、当WEBサイトのコンテンツの一つであるイベント情報「LUE」にてスーフリの取材記事を掲載していましたが、和田容疑者達の逮捕を受けてこの記事を削除しました。このような状況に対して、早稲田リンクスとスーフリとの裏の癒着関係もまことしやかに指摘されているようですが、取材団体の1つとして取材を行った以外の関係は一切ありません。過去の取材相手に犯罪の疑いがあることは衝撃であり遺憾であるとともに、学内メディアとして事件が起こった背景を考察する必要があると認識しています。そこで、今回の件をめぐっての、また、これからに向けての学内メディアとしての「早稲田リンクス」の報道のあり方を探るとともに、学内メディアとして問われている報道責任のもとに今回の事件の本質を責任感と使命感とを持って報じることを決定いたしました。調査報道を7/29から4回にわたり連載で掲載していきます。この調査報道に協力して下さった方々に、この場をかりて最大限の謝意を申し上げます。

第一部:「早稲田リンクスとスーパーフリー」(7/29掲載)
早稲田リンクスが去年4月にスーフリを取材した意図と経緯、事件発生後の記事削除と公式見解発表に至る過程、調査報道チーム発足に至る過程を描きます。
第二部:「早稲田とスーパーフリー」(8/2掲載)
社会に価値を発信していく諸々の学生の企画において、スーフリのイベントはどのような位置付けにあり、これが早稲田のサークルであったことはどのような意義があったか。これらを早大各イベント団体がどのように捉えているかを通して示します。
第三部:「社会とスーパーフリー」(8/6掲載)
スーフリ元メンバーやスーフリのイベント参加者への取材などを通して、今回の事件を「大学の大衆化と学歴社会」、「インスタントな人間関係と社会的モラトリアム」の二つの視点から読み解きます。このことにより、スーフリの事件が示す社会的背景とその意義を示します。
第四部:「早稲田の学生文化について、これから」(8/10掲載)
なぜこのような事件が起こったのか。否、むしろこれまで発覚しなかった原因について検証します。メディアとしての我々早稲田リンクスが本件をどう捉え、今後どのように活動していくのか。指針を打ち出し、第二のスーフリ事件発生を防ぐ術について触れていきます。

 本企画において和田氏及びスーフリ事件を取り上げる際、いまだ判決が確定していないため意識的に「被告」「〜という疑いをかけられている」との表現で事実断定を避けました(03年7月29日現在)。我々早稲田リンクスは司法機関ではなく、捜査機関でもない。青臭いかもしれませんが、我々は推定無罪の原則をないがしろにするような報道姿勢をとることはできないと考えたからであります。

 また本件を同じ早大生として、同世代の人間として捉えるため、文中において人称が一部混同されている個所があります。取材班の感情や実感も、非才をさらしつつ敢えて挿入したため、客観報道という調査報道スタイルになじまない個所もあるかと思います。法的留保表現とあいまって、一部表現が重複したり読みにくかったりする個所があるかと思われますが、本企画の趣旨をご理解の上ご容赦いただきたいとおもいます。

調査報道チーム
戸部亮介、遠藤千尋、大林広樹、阿部司、吉見憲二




スーパーフリー調査報道第一部「早稲田リンクスとスーパーフリー」

1.早稲田リンクスによるスーパーフリーの取材意図と経緯

 早稲田リンクスは去年4月中旬に元スーフリ代表の和田真一郎被告を高田馬場のスーフリ事務所にて取材しました。この取材は、新歓期での雑誌「早稲田リンクス」の配布時にスーフリのメンバーと当サークルのメンバーが偶然知り合い、取材の依頼を受けたことからはじまりました。

 この取材は早稲田リンクスの会議にて決定されました。劇団、文化系サークルにともすればかたよりがちな当時の当WEBサイトの特集において、1つの新しい試みでもありました。スーフリのベルファーレを何回も満員にしてきたことの実績が示す動員力と企画力は十分に取材するに相応しい団体であると捉えました。当時のメンバーはスーフリに対する悪い噂を多少聞いてはいましたが、それは大きいサークルへよくあるヒガミであると感じられる程度のものであり、犯罪行為を行っているという情報はほとんど知りませんでした。したがって、当初彼らへの認識はニュートラルなものでした。

 そして、この高田馬場での取材時にスーフリのイベントでの取材依頼も改めて受けました。この時に取材担当者が感じた和田被告の印象は、礼儀正しいが感情を表に出さない人であるということでした。事務所内では他のメンバーがイベント前の準備に必死になっていたようです(左上写真)。その活動している様子に一生懸命さを感じたことと、ベルファーレを満杯にするイベント力を単純に見たいという理由から、イベントでの取材も引き受けました。記事はイベントが開催されるまでに掲載しました。

 4月28日のスーフリのイベントへの参加は、一般の雑誌の記者らとともにプレスとして参加しました。しかし、1次会のみで帰ってしまったために、問題の2次会以降のことは不明でした。VIPルームへは取材のために招かれただけであり、そこでは犯罪の行われているような光景は目にしませんでした。ベルファーレの満杯な状態と普通のクラブでは見受けられないような大学生も数多く参加していることが印象に残り、怪しさや危なさは感じることができませんでした(右写真)。この記事は5月初旬に掲載されました。

2.事件が報じられてからの早稲田リンクス

 以上のように、早稲田リンクスは彼らにまったく警戒心を抱いていなかったため、私たちにとって今回の事件は大きな衝撃でした。とはいえ、報道責任という意味において道義的な責任をおっていると考えています。つまり、早稲田リンクスを常日頃支えて下さっている方々に対して信頼を傷つけてしまったこと、もしかしたら行くことで犯罪に巻き込まれるかもしれないようなイベントの宣伝をしていたことは非常に大きな問題であると認識しました。そのためにまず、和田被告達の逮捕が報じられた6月20日未明の時点で、記事は掲載を続けるに相応しくないと判断して削除しました。それから、緊急会議を開催して公式見解を発表すること、調査報道を行うこと、編集体制を一新することが決定されました。公式見解は6月23日に発表されました。その5日後の6月28日に、去年7月に「囲炉裏」というサークルの小渕優子さんを招いてのイベントを早稲田リンクスがメールマガジンにて紹介した際に、イベント詳細へのリンク先に編集ミスによりスーパーフリーのURLを掲載してしまっていたことが、「囲炉裏」の方からの指摘により発覚しました。そこで、このミスに対して6月30日に公式見解を発表しました。このミスは7月7日の東京スポーツ新聞にて報じられました。スーフリと一切関係のない「囲炉裏」関係者の方々に対して甚大な迷惑をおかけしてしまったことはお詫びしてもお詫びしつくせない出来事として決して忘れてはならないミスであり、このミスは早稲田リンクスの編集体制の甘さからであるとして大いに反省しなければならばならないことでした。

3.早稲田リンクスの問題点の分析

 スーフリの一連での早稲田リンクスの行動は、多くの方々からの早稲田リンクスへの信頼を傷つけるとともに、大きな誤解と憶測を呼びました。これは早稲田リンクスの学内メディアとしての認識の甘さに起因すると私達は考えています。

 その理由として、近年の早稲田リンクスの取材対象の選択の基準として「面白そう、アツイ」といった極めて個人的嗜好に偏る傾向があり、その個人的嗜好はまた同じ学生のユーザーにも有益になるだろうという考えが、早稲田リンクス全体に暗黙の了解のうちに流れていたように感じられることがあげられます。つまり、「メディアとして発信することにおいての最低限のモラル」というものが、時としてメンバー個人の裁量に委ねられることに対して疑問を呈するような動きがほとんどありませんでした。

 近年の早稲田大学は、早稲田祭の6年間に渡る中止や学生会館の新設などによりかつてほどはサークルが学生の中でのプライオリティを持たなくなっています。しかしながら、サークルを代替する場として大学生活に情熱を燃やせるような場を見つけるのがなかなか難しい状況というものがあります。そこで、リンクスとしてもサークル以外の新しい価値基準のようなものを提示しようしていたところはありました。その証拠として、最近あがってくる新しいWEB企画案のほとんどの切り口は、サークルとはほとんど関係のないものが多い傾向にありました。しかしながら、その企画案も多くは個人的嗜好に走ったものであり、記事のチェック体制も甘く、早稲田リンクス全体としてのWEBサイトの目的や存在意義を共有しきれていない状況がありました。それは上記の「大学生活で情熱を燃やせられるような場を見つけることがなかなか難しい状況」であるという構造も大いに影響していることとおもいます。

 しかしながら、そこに甘んじてしまっていてはいけません。今回の一連の出来事は早稲田リンクスにそう強く考えさせるものとなりました。WEBサイトの目的と存在意義を捉えなおし、編集部を設置し、サイトポリシーを作ることが決定しています。このような諸改革の中の最初の活動として「スーパーフリー調査報道」が位置づけられます。この企画をもって早稲田リンクスの過去を分析して捉え直すとともに、新しいスタンスを示すべく「スーフリ事件」の本質に迫ります。

4.調査報道

 早稲田の学内メディアとしての責任感と使命感の中で本質を追い求めました。この事件の本質は「レイプ」だけで説明のつくことではありません。「なぜレイプが行われたのか」、「その因果関係にはどのような時代の背景やバックグラウンドがあるのか」、「そのような社会的背景や意義があるならば他の出来事はどのように捉えていけば更によいのか」、「このスーフリ事件をどう捉えていくのがよいのか」をしっかりと考えることが大事なのではないでしょうか。しかしながら、多くのマスメディアはスーフリ失墜の軌跡を追いかけたり、犯行現場の描写をしたり、早稲田の凋落を叫んだりするばかりで、「レイプ」以上の部分に迫りきれていないのではないでしょうか。あるいは、本質から大きく話がそれてしまっているのではないでしょうか。

 どんな事件でも、その本質は1人1人の人間が事件の周辺に生きる人間に対して思いやりを持てるか否かというところに起因するのではないかと考えます。これを確固として持つためには感受性がなくてはなりません。感受性を磨くためには、様々な人生経験と教養を積むことで価値観を磨いて、想像力を豊かにすることです。そして、その本質を考えるきっかけを提供できるような情報を発信していくことこそが早稲田リンクスの目指すメディアとしてのあるべき姿です。そうして発信する情報によって、よりよい社会とはどんなものであるかを1人1人が考えられる土壌を肥やすことに貢献できたらと考えます。

 これらの問題意識をもとに本質を検証していく記事が第2部「早稲田とスーパーフリー」、第3部「社会とスーパーフリー」、第4部「早稲田の学生文化について、これから」です。第2部では社会に価値を発信していく諸々の学生の企画の中において、スーフリのイベントはどのような位置付けにあり、これが早稲田のサークルであったことはどのような意義があったかを示していきます。そして、第3部ではスーフリ騒動が示す社会的背景とその意義を具体的に記します。以上をふまえて、第4部ではなぜこのような事件が起こったのか。否、むしろこれまで発覚しなかった原因について検証します。

執筆:戸部亮介




スーパーフリー調査報道第二部「早稲田とスーパーフリー」

 第2部では社会に価値を発信していく諸々の学生の企画の中において、スーパーフリー(以下、スーフリ)のイベントはどのような位置付けにあり、これが早稲田のサークルであったことはどのような意義があったかを早稲田のイベントサークルを運営する方々のインタビューを中心に分析していきたい。

1.スーフリに対する他のイベントサークルからの捉え方

 スーフリは1つの早稲田のサークルであり、クラブイベントを開催していた。他のイベントサークルの方から見てクラブイベントはどんなものなのだろうか。某サークルの方にお話を聞いた。

 「学生クラブイベントっていうのは大きく分けて2種類あります。スーフリなどの出会いを目的としたイベントと、音楽専門イベントです。これからクラブイベントに対しては色んな偏見が持たれること思います。でも本来クラブは音楽が本当に好きな人が行くところだから、みんな意識の中で音楽を優先していく必要があるのではないでしょうか。クラブってやっぱメジャーの下にあって、メジャーに良質な音楽を伝えていくものです。クラブは本来は危ないところではないし、最先端の音楽を楽しめるところだからもっと気軽に足を運んでほしいと思いますね。」

 クラブイベント、それだけで今は「危険である」とか「怖いもの」であるだとかの先入観が走ってはいないだろうか。学生の主催するクラブイベントとはそれだけで一口に括れず、そのイベントの雰囲気は多種多様である。それゆえに、様々なイベントの質を見極める目と判断力が必要である。クラブイベントは、学生の主催するイベントの1つのカタチなのである。学生のイベントは会社としての収益を追求することを目的にしていないために、規模や派手さで社会人のイベントに勝負しても、そこには限界がある。それでは、社会人では発揮しきれないが、学生のイベントが発揮できる価値とは何なのか。学生にとってイベントをやるということはどのような意義があるかを考えることは、学生クラブイベントの在り方とその中でのスーフリのポジショニングを捉えるにあたり、大いに示唆的となるのではないだろうか。まず、イベントに対しての捉え方をイベントサークル「qoon」幹事長の小薬元さんに聞いた。

 「イベントはツールである、ということを僕たちは常々言っているんですよ。例えば、自分が何かインスパイア(鼓舞)されたものがあるとしますよね。そこで何か思いを伝えたいってなったときに、まず誰かに『こういうことがあったんだよ』って直接言ってみる伝え方があります。でも、それよりももっと体感できる、リアルに感じられる、多くの人にアプローチ出来る伝え方っていうのがあるはずなんですよ。それを突き詰めていって、辿り着いた先がイベントだったんですね。でも、そのツールはまだまだ発見されてないものもあると僕は思ってます。『多くの人に自分の思いを伝える手段の一つ』としてイベントってものがあって、それは目的ではないんですよ。『イベント』がしたいのではない。

 『本当に伝わったのか、伝えられたのか、どうしたらもっと伝えられるのか』、そういった悩みや悔しさが必ず生まれるものなんです。そういった想いが次のいい企画や、イベントに繋がるんです。だからこそ、点ではなく線になっていくんでしょうね。スーフリにとってイベントは『欲望のツール』『収益のツール』であって、そこにマーケットというか、需要があるのも問題なんだけれど、『利用する』という行為の延長上に『イベント』があるよね。ツールという言葉が例え重なったとしても明らかに違うよね。『利用する』という言葉は確かなゲイン、おいしい思いがあるはずだから。一回も感じたことないな。イベント中にニヤニヤなんてしたことないですね。」

 小薬さんのいう「多くの人に体感してもらうツール」としてのイベントを開催するためには、その体感してもらう内容を考える「企画」が重要になってくる。この企画如何によってイベントの質が決まるといっても過言ではない。その企画を考えられる自由度の大きさが学生イベントの持つ大きな特徴の1つなのではないだろうか。時間は余るほどにある、利潤も追求しなくてもよい。学生イベントの「企画」について、イベントサークル「UBC」幹事長の高久裕輝さんに語っていただいた。

 「面白い事をこいつは面白いなと思わせられるようなことが大切だと思う。それが今サークルやっている醍醐味だし。企画サークル、自分達も含めて、お前ら何かちゃんとしたものを企画してみろよ、と思う。企画っていうのはやっぱり世の中に発信していくものだし、大人と渡り合っていくものだと思うから。だから企業の人に『早稲田どうなの?』って言われてもオレはこんなにきちんとしたものをつくっているんですよ、って言えるようになりたい。魅せてやりたい。もっとバシバシ世の中に出ていこう。サークルよ、立てと。もっと社会全体にバカパワーを知らしめてあげればかなりいいん じゃないかな。」

 「企画っていうのはやっぱり世の中に発信していくものだし」、高久さんのこの言葉にUBCが質の高い企画を常に考えている姿勢が伺える。この姿勢は北朝鮮問題や銃規制やエイズ問題などの企画を打ち出しているqoonからも受け取ることができる。その一方で、スーフリ自身が主体的に世の中に発信していきたい価値はあったのだろうか。ここが単純に「男女の出会いの場」のみで、それ以上の深みや厚さががなかったことがスーフリの限界であったのではないだろうか。金銭的利益を追求するでもなく、問題意識や社会的意義を追求するでもない。それであるがゆえに唯一存在するイベントの目的「出会いの場」を延長していくと、そこにSEXがあることは人間の本能として自然であるといえる。そして、ここでの精神構造が歪んだ結果としてレイプ・輪姦が発生することも考えうる話だ。今回の事件の根本にはこのようなスーフリの学生イベントサークルとしての限界が浮き彫りになっているのではないだろうか。

2.事件に対しての早大生の捉え方

 スーフリ事件を早大生はどのように捉えているのだろうか。取材の中で「広告研究会」幹事長の羽後航さんから次のような話をきいた。「事件が発覚した直後に、都内の広告研究会の連合会『MARKS』での会合がありました。そこで、来る人来る人に、『早稲田、捕まったね』と声をかけられる中、日大の仲間が声をかけてきました。美人局とスーフリと両方とも早大生とともに日大生も逮捕されているじゃないですか。そこで彼が放った言葉は『誰も日大生が捕まったね、とは言ってくれないんだ。それはそれで非常に悲しいもんだよ』でした。今回の事件は早稲田の学生であったからこそのニュースバリューなんでしょうね。」

 確かに週刊誌やワイドショーでは早稲田大学の学生であることは殊更に強調されていたが、他大の学生であったことはほとんど強調されていない。この扱いの差は早稲田であるがゆえの「ニュースバリュー」が出ているところであり、マスコミの早稲田に対する固執がみてとれる。今回の報道に関して「放送研究会」幹事長の吉見敦さんは言う。

 「伝え方はどうあるべきかということや、取材相手を慎重に選ぶ必要性を主に考えさせられた。今のスーフリの報道を見ているとジャーナリズム精神からかけ離れ、『ワセダ』がマスコミの商品にされているよね。あと、起訴、判決が下っていない段階でレイプサークルと断定調に報じていたところが多くて、もっと慎重に報道する必要はあると思う。過去に過ちの例はたくさんあるからね。ただ、この容疑が真実ならば絶対に許してはならない卑劣な行為。この問題を視聴者、読者に対してどのように伝え、どう問題提起し、二度と繰り返さないようにしていくかをメディア側は考えなければならないよね。事件を伝える義務と、慎重さ・誠実さの兼合いは注意しないといけないけど、線引きや表現の仕方は難しくて、これが絶対正しいという報道ってなかなか存在し得ないと思うし、メディアの現場の方も悩んでいますよね。大衆の『ゴシップが見たい』と、マスコミの『ゴシップを追っかけたい』が一致している事実も実はあったりしてこの辺は複雑な気持ちだな。あと、時間がたつにつれ扱いが小さくなっていくのは当たり前だが、持続的に問題提起を続けていくのが報道の役割だと思うなあ。」

 マスコミが騒ぐ。そこで、早大生全体が悪いように騒がれたとしたら、それは一生懸命に健全に頑張っている早大生にとっては心外である。しかしながら、同じ早稲田というフィールドにおいて発生した事件である。他人事で済ませていいのだろうか。「2003年度早稲田祭運営スタッフ」代表の高橋秀和さんは言う。

 「うちらはサークルとかではないから、これはあくまで高橋秀和個人としての意見になるのだけれど、早稲田の一員である早大生が起こした事件だと、本当に実感してる人はどれくらいいるのかな。いまスーフリとか和田とかが早稲田の中ではギャグ的なものになっているところがけっこうあるけど、たぶん、みんな実感ないんだろうなと思うの。早稲田の学生ってどこまで大学作っている一員であるという自覚があるのかなあって、最近すごく感じる。早稲田で一番色々な人たちと関係を持つ立場にいるからかな?いい意味でも悪い意味でも一匹狼というかそういう人は他大より明らかに多い。だから、『スーフリに関してはこう思います』とかではなくて、『俺はこういう活動しています』という話になる。様々な学生文化のカオスとして早稲田を見るならばそれは健全なことかもしれない。他のサークルには全く関係の無いことだしね。

 ただ、うちらは『早大生だから』語れることも、できることもある。それは、この学年になって本当に感じる。でも、だからこそ、それがマイナスの評価であってもその『早稲田だから』という自覚をもてたらほんとに格好いい。いいことも『早稲田』で共有しよう。だから、悪いことも『早稲田』で共有しようよ、と。その精神みたいなものが無ければ、早稲田祭2003みたいなイベントってほんと自己満足で終わってしまうから、うちら運営側は特に気をつけなきゃいけないなと思ってる。

 伝統とかの重みってすごいけど、それ以上に大事なのは、今この時の歴史を作っているのはうちらだという自覚じゃないかな。それこそ高田早苗や会津八一みたいな人と今の俺まで繋がっているものがある。俺達の肩書きはやっぱり早稲田なんだよ、早稲田を背負っている。うちらがしたことは、早稲田として見られる。その責任はすごく重くて、だからこそ誇れるし誇りたい。」

執筆:戸部亮介




スーパーフリー調査報道第三部「社会とスーパーフリー」

 1・2部をうけた第3部では「スーパーフリー事件(以下、スーフリ事件)」が発生した社会的背景。なかでもなぜ近年クラブイベントがこれほどの隆盛を見せているのか。インタビューを中心に分析していきたい。

1.まず近年これだけクラブイベントが隆盛している理由から探っていこう。クラブの雰囲気が好きだから。踊りたいから。様々あると思うが、我々取材班の正直な告白を含めてインタビューから浮き彫りになった動機とは「出会い」に他ならない。一説によるとスーフリだけで毎月1000人を越える規模のクラブイベントを成功させていたという。時代や洋の東西を問わず、異性間のコミュニケーションや健全な出会いの機会を求めること自体、別段驚くべきことではない。ここで問題になるのは、なぜ「出会いの機会=クラブイベント」の図式が出来上がるのかという点にある。

 あるイベントサークル幹部は1000人の男女がクラブに集まる理由を次のように分析する。「女子大や短大ってキャンパス内での出会いがない。だから出会いを求めてイベントにいくんだ。そこで個人的に親しくなり、合コンやそのあとのアクションにつなげていく」

 なるほど、1000人がクラブに集まった背景として「出会いがほしいが、普段の生活に出会いの機会はない。だからクラブイベントへ行く」というのだが、納得する前にちょっと考えて頂きたい。歴史環境的側面から振り返るに、出会いが少なかったのは今に始まったことではないはずだ。一般に女子学生のみで構成される短大や女子大は昔から「出会い」が少なかったはずであり、この10年で急激に「出会い」の機会がなくなったわけではない。したがって短大や女子大に出会いが少ないということだけでは、ここ数年のイベントブームは説明できないはずである。ではなぜ、ここ数年クラブイベントがこれほど流行しているのだろう? そしてなかでもなぜスーフリのイベントがあれほどまでに人気を博したのだろうか…。

2.「期待をもって臨んだのに大学の授業も、出会いも思った以上にパッとしなかった。だから他大生と知り合いたくてイベントに行った(19歳、女性)」

 「自分がしっかりしていれば大丈夫だと思ったし、クラブも行ったことがなかったから漠然とした憧れがあった。会場であるクラブも大きいからかえって安心した。実際はじめてでも楽しめるムードがあった(21歳、女性)」

 「以前はダンスとか音楽を楽しみに行っていたが、スーフリのときは断然ナンパ目的。実際まわりを見渡してみても出会いを求めてる、って感じだった(20歳、男性)」

 「男の子に声をかけられることが普通の雰囲気だった(20才、女性)」

 これらスーフリイベント参加者の声は、素直な「出会い」への好奇心と等身大の大学生の姿であろう。1500人のキャパシティーを誇る六本木のあるクラブ。7‐8月はクラブ主催イベント・平日のプライベートイベントを含め、一日の空きもなくイベントが開催される。週末の六本木には学生から社会人まで人があふれ、さながら異空間の様相を呈する。「一度経験してみないと、あの非日常的な盛り上がりはわからない。なんていうか、お祭りみたいなんだよ。(24歳、男性)」。だとするならば、現代のクラブイベント隆盛を説明する鍵は「出会いを演出するための社会的装置としてのクラブイベント」であり、「非日常的な空間としてのクラブ」なのかも知れない。この年代でなくとも素敵な出会いや恋愛への願望はきわめて当たり前の感情であり、社会人合コンから出会い系サイト、誕生パーティーや結婚式の二次会、果てはお見合いまでその手の社会的装置は枚挙に暇がない。

 元スーフリスタッフは言う。「スーフリのイベントがあんなに成功していた理由は客層にあると思う。みんなが『普通の人』だからクラブ初体験でも来やすいし、ギャル系禁止を打ち出していたからウケたんだと思う。(中略)ニーズがあったからクラブイベントがあったわけだし、みんな『出会い』を求めてるんだよ。」

 インタビューを通じて浮かび上がったのは、わたしたちを含め、どこにでもいる若者たちのちょっとした非日常への憧れであり、それをうまくキャッチしたスーパーフリーという団体であり、スーフリ幹部の姿である。 

 有名大学を打ち出したブランディング戦略(※1)、“普通の学生のため”というマーケティング(※2)。その一つ一つは別段目新しいものではない。だが過剰なまでに「出会い」を渇望する現代のキャンパス事情そのものが、イベントサークルの野心とあいまって昨今のクラブイベント人気を生んだのではないだろうか。

※1…ブランディング戦略とは、企画や企業名に付加価値をつけて市場価値を高めるための戦略。ロゴが入っているだけで値段が2倍になるバッグや、全国的に有名な香水は成功例。ここでは高偏差値、有名校の学生が集まったイベントという意味で使用。
※2…マーケティングとは、価値を創造し、提供し、他の人々と交換する事を通じて、個人やグループが必要とし欲求するものを満たす社会的、経済的過程のこと。

3.これまではイベント隆盛の謎。そしてスーフリ主催イベントがなぜこれほどまでに人気を集めたのかを探ってきた。だがこれらの取材を通じ、依然解けないのは「なぜ今、出会いの場としてのクラブイベントが人気なのか」という点である。冒頭でも指摘したように、キャンパスにおいて出会いの機会が少ないのは実は昔から変わっていない。ならばなぜ、ここ10年程度でクラブイベントがこれほどの隆盛を見せているのか? …一連の取材のなかで、我々は一つの仮説をたてるに至る。

 サークル、ゼミ、語学のクラス、そして飲み会…。少なくとも共学大学において、いわゆる「出会い」機会がまったくないということはない。事実、西早稲田のキャンパスでさえ(?)クラスメイトやサークルメンバー同士のカップルをしばしば目にする。クラブには行ったことがないという彼・彼女らとの違いはなんなのだろうか?

 「コミュニケーション不全症候群」とまで大仰にその違いを発展させるのは不適切かもしれない。しかし、中島梓(※3)によって定義づけられたこの特徴が、少なからず現代におけるクラブイベント隆盛を説明してくれるように思う。クラスやサークルに出会いの機会があったとしても、上手に声をかけられない。また、うまく話に乗っていけない。そんな若者が増えているという。我々にも心当たりがあるが、日常生活において異性に声をかけたり気軽に誘ったりと、積極的に出ることはなかなか容易ではない。言い古された言葉だが、拒絶されることへの恐怖感や軽くあしらえない不器用さはそう簡単に乗り越えられない壁である。

 デジタル化するコミュニケーションの潮流。この20年でマニュアル化されたコミュニケーションやシナリオゲーム(ときめきメモリアルの世界には驚いた!〉が一般化した。「オタク文化」に代表されるように、特定コミュニティー内での興味・交遊が特化。その逆説として社会におけるコミュニケーションが苦手になっていく。春の新歓や立食パーティーで、所在無さげに壁の花になっている若者たちをよく目にする。また受験や選抜競争の激化により、発育期に対人コミュニケーション機会に恵まれなかった問題点もかなり以前から指摘されている。西早稲田キャンパスの春。勧誘の声と膨大なビラのなかで、集まる空間をみつけられないまま講義が終わると同時に帰途を急ぐ。サークル活動より資格試験の勉強。だってその方が楽だから…。このような社会環境のもと、競争に彩られた少年・少女時代を過ごした若者たち。彼ら・彼女らが対人コミュニケーションにいくばくかの困難を感じたとしても不思議ではない。もちろんこれは我々取材班世代の問題であり、実感とともにこの仮説を立てていることは言うまでもない。実際問題として、我々も一から関係を築いていくという状況よりは、お膳立てしてあるパーティーや合コンのほうが参入障壁を感じないのが正直なところであるのだから。

 キャンパスにおける日常ではなかなか声をかけにくいが、非現実的空間のクラブイベントという空間でならば“バカ”になれる。声をかけても女性から白い目で見られないし、男性に付いていっても後ろ指を指されない。そういうことをするという前提なのだから。そのような環境が3000円で買えるならば…というわけである。

 「出会って、ゆっくりお互いを分かり合うという過程を踏むよりは、インスタントな関係のほうが傷つかないし、ラクなんだ。Easy, Instantって一つのキーワードさ」とは出会い系サイトに熱を上げる男子大学生の声だが、多数ではないものの確実にこのような感覚は一般化してきている。初めて会う異性との会話や、クラブでナンパされるほうがよほど緊張するし、怖いと思うその感覚は、昨今逆転しているのかもしれない。  < 第4部に続く >

※ 3…コミュニケーション不全症候群とは、「一方通行の関係性しか持てずに他者の存在に知覚障害を持つ進行性の病気である」と皮肉をこめて中島氏は言う。そして困ったことに、本人に病識がないとしている。ちなみに中島梓氏は、グインサーガなどでおなじみ栗本薫氏の評論用ペンネームでもある。

執筆:遠藤千尋




スーパーフリー調査報道第四部「早稲田の学生文化について、これから」

 第3部においては、まさに同世代としての視点から「現代クラブイベント隆盛事情」を検証してきた。第4部ではなぜこのような事件が起こったのか。否、むしろこれまで発覚しなかった原因について、サークル活動の小規模化ならびにサークル蛸壺論(※1)と合わせて検証したい。その上で本件をメディアとしての我々早稲田リンクスがどう捉え、今後どのように活動していくのか。指針を打ち出し、第二のスーフリ事件発生を防ぐ術について触れていきたい。

1.第1部にあったように、取材依頼を受けた時点で我々早稲田リンクス取材班のもとに、スーフリの黒い噂はほとんど入っていなかった。手前味噌になるが弊団体の自己紹介をさせてもらえば、1996年創設の早大公認学生団体としてウェブメディアとしては全国屈指の歴史と規模のサークルである。学内のサークル情報、なかでも演劇や学生企画・早稲田祭関連の取材網は学内随一を自認している。そんな我々だが昨年4月の取材当時、スーフリに関する情報は「2000人規模のクラブイベントを開催する有力イベントサークル」「企画力や交渉力に優れた公認イベントサークル」という限られたものであった。本音を言えば、ベールに覆われたスーフリをもっと知るということも取材目的の一つであったほどだ。しかしながら本企画の取材過程で、イベント業界から当時の早稲田リンクスの情報収集力に大きな疑問符が投げかけられることとなる。 前述のイベントサークル幹部によれば、BBS掲示板はもとより学生イベントサークル業界でスーフリが「やばい」いうのは有名な話であったという。「その当時、リンクスさんがその情報を知らなかったってのは甘いと思いますよ。俺らイベサーの間では有名な話だから。02年4月時点で、某BBSにはちゃんと彼らに警告を発するスレッド(※2)までありました」。

 この一言から、我々取材班は取材の焦点を「クラブイベントの隆盛」から「本件をきっかけとしたサークル蛸壺化の現状」へと移していく。公認団体だけでも500を越え、存在するサークルをあわせればその数2000をくだらないであろうと噂される早稲田のサークル。しかし学生文化の砦としての早稲田においてすら、サークル間の「横のつながり」は確実になくなってきている。学園紛争をきっかけに学内横断的な学生機関は勢力を弱め、もしくはセクト化していった。地方国立大学などに見られる政治色のない「自治会」や「サークル協議会」といったものが、ここ早稲田には存在しない。その結果演劇系は演劇系、体育会は体育会といった分類化が進み、異分野間を取り持つネットワークも失われていった。学生会館においては「隣のサークル、なにするひとぞ」といった状況が、03年現在当たり前のこととなっている。

 イベントサークル間では常識化している「スーフリ危険情報」も、異なるコミュニティーでは十分に知ることができない。早稲田が巨大であるがゆえに、サークル業界内で関係・情報が完結し、有益な情報も警告も業界内で止まってしまっているため、外の世界に内部の事情が伝わってこないのである(※3)。 そして我々学内メディアも、サークル間を横断する情報の集積と配信の要請に充分に応えられなかった…。

 総合大学としての早稲田は今どこに向かって歩いているのだろうか?

※1…サークル蛸壺論とは、各サークルがそのコミュニティーのなかで活動を完結し、外部との交流を持たない閉鎖的活動に終始している現状への問題提起である。各サークルが一つの社会となってしまっており、蛸壺内では特有の合図や専門用語の使用頻度が高い。
※2…スレッドとは、インターネット上掲示板(BBS)に置かれる問題提起やメッセージ募集のための書き込み可能なスペースのことである。「板」ともいう。
※3…このような興味の細分化とコミュニティーの蛸壺化をして、動物化するポストモダンを語るのは無理があるだろうか?

 トピック:早稲田リンクスは、本件をきっかけに学内外の情報と調査ニーズに対し、メディアサークルとして向かい合うための「サイトポリシー」を発表いたしました。 早稲田リンクスサイトポリシーへ

2.このような学生文化の現状において、再び同様の事件が起きないといえるだろうか。もし言えないのであれば、再発を防ぐためにわたしたちが当事者として考えるべきことはなんであろうか。 ここでまず我々は「和田・スーフリ特別論」への警鐘を鳴らしておきたい。取材過程はもちろん、キャンパスや一部メディアでしばしば語られているように、他を圧倒するスーフリの規模や和田氏の経歴ゆえ本件は「スーフリだったから起きた事件」であるとされている。スーフリという団体が、和田という代表が特別だったから起きた事件だ。わたしたちには関係ない。わたしは被害に遭わないし、俺はやらない…。

 そうではないはずだ。繰り返すがインタビューを通じて浮かび上がったのは、我々を含め、どこにでもいる若者たちのちょっとした非日常への憧れであり、それをうまくキャッチしたスーパーフリーというサークルであり、スーフリ幹部の姿である。

 きわめて当たり前の感情である「出会いへの欲望」。この感情の本質から目を閉ざしスーフリ特別論を唱えていては再びどこかのキャンパスでレイプ犯罪が発生し、そこから生まれる悲しみの連鎖は止むことがない。 直接関係しなくともスーフリ事件が持つ意味とその背景を考え、再発防止のためにわたしたちはなにができるのか考える。そして、それぞれの立場から再発防止のための第一歩を踏み出すことが肝要なのではないだろうか。取材に協力してくださった諸団体のみならず、2000を超えるサークルがそれぞれの立場からまずできることを。会議でこの問題を取り上げてみることからはじめても構わないはずだ。

 それらが早大生であることの矜持であり、口はばたく言えば責任ではないだろうか。自ら自浄する能力なくして、早稲田の学生としての責任を云々できない。我々の表現が大上段であり、過剰にエリートを気取っているとの指摘は覚悟の上である。しかし考えていただきたい。この早稲田という空間は、我々だけではなく早稲田を構成する教職員、諸先輩、そして地域社会によって支えられ、育まれてきたのである。その早稲田を引き継ぎ、さらに発展させていくなかでわたしたちは様々に道を見つけ、あるいは迷いながら成長していく。

 わたしたちを育む早稲田の杜に感謝する一方、その揺り籠がおかしな揺れ方をしているときには、自ら警鐘を鳴らし修正していくことが必要なのではないだろうか。わたしたちにはそのための環境も、引き継いだ財産も経験もあるはずである。今足りないのは、本件を他人事にしない姿勢と、それをもとに行動する意思だけなのではないだろうか。

 最後になるが、本調査報道を通じて関係者の皆様の真摯な活動に複数出会った。取材に協力していただいた諸団体の皆様は言うまでもなく、お名前こそ出せないが大学内外を問わず情報提供や取材協力を通じて我々の趣旨に賛同し、助力を頂いた皆様にこの場を借りて深くお礼を申し上げたい。

 早大学生生活課では本件を一般サークルへの規制強化とは別次元であると認識した上で、事件に対する無作為抽出アンケートを実施し、全学をあげた再発防止に動き出している。また早大OB有志による事件再発防止のための危険回避ノウハウサイト開設や、現役学生による問題提起や様々な取材活動があることも知った。これら関係者各位の努力に脱帽するとともに、深く敬意を表したい。

 繰り返すが本企画は事件に関係した関係者への取材・仮説検証を通じて、現代のキャンパスにおける社会的背景・意識にスポットを当て、再発防止のためにメディアとして何らかの貢献を行うという趣旨に基づく。また「早稲田リンクス」として自らメディアとしてのあり方を問う一連の調査によって、私たち自身も「真実は何か?」「報道の役割とは?」という活動の原点を改めて考えさせていただいた。  決してこの事件を風化させてはならないが、その上でこれからのわたしたちが社会や学生文化になにを寄与できるか。勝ち取った4年間(もしくは5年、6年…)をどのように使い、自分の生き方を確立していくか。 大げさに言えば「生き方」を探す長い旅路のなかに、早稲田という空間をどのように位置付けるかが改めて問われたといえるだろう。それらを考えるきっかけとして、本企画が何らかのお手伝いをできたならばそれに勝る幸せはない。

 ご協力いただいた全てのみなさまに繰り返し謝辞を述べ、またメディアとしての真摯な反省の弁を最後に、本企画を終えさせていただく。 

早稲田リンクス スタッフ一同 2003年8月10日
調査報道班:戸部亮介、遠藤千尋、 阿部司、大林弘樹、吉見憲二