裁判の情報10



●第50回公判 2004年5月6日木曜日15:30(第528号法廷)
  傍聴席41席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

岸本英之(株式会社ジョブマガ代表・慶應義塾大学商学部卒)の弁論手続。
弁護人の最終弁論と岸本英之の最終陳述。
弁護人はいまだに計画性について否認し、事件は偶発的なものと主張した。
弁護人は、「被告人は今後犯罪はもちろん女遊びもやめ、妻となる女性だけを愛することから再犯の可能性はない」と述べた。
約15分で閉廷する。
次回期日で判決。

●第51回公判 2004年5月14日木曜日13:30(第104号法廷)
  傍聴席90席、抽選なし(全員傍聴可)

和田真一郎(元早稲田大学第二文学部2年)の証拠調べ手続。
関本隆浩が検察側証人として出廷する。
約3時間で閉廷する。
次回期日も証拠調べ手続。

●第52回公判 2004年5月31日月曜日11:00(第528号法廷)
  傍聴席43席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

沼崎敏行(元早稲田大学政治経済学部3年)の判決。
懲役2年10月(実刑)。未決勾留期間220日を刑に参入。
約20分で閉廷する。
沼崎敏行ら5人は抵抗する被害者女性に対し「本当は気持ちいいんでしょ?」などと侮辱して姦淫行為に及んだ。
立件されたのは1件だが、その他にも3〜4回輪姦に参加し、ブロッキングにも参加していた。
甲事件(2003年5月18日)の被害者(20)は親しい友人の支えを受けてどん底から立ち直った。
しかし、2003年10月頃から事件の後遺症で過換気症候群に罹患している。
そのため、外出時にもビニール袋を持ち歩く生活が続いた。
※呼吸困難時にビニール袋を口に当てて自分の吐いた息を再び吸うことで低下した血液中の二酸化炭素値が次第に正常になり、症状が消える(ペーパーバック法)。
また、精神的に不安定な状態が続いている。
事件のことを母親に打ち明けたが、非常に大きな精神的打撃を受けていた。
そのため、父親にはこのことを伝えることはできない。

●第53回公判 2004年6月3日木曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席42席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

小林潤一郎(元早稲田大学教育学部4年)の判決。
懲役10年(実刑)。未決勾留期間240日を刑に参入。
約40分で閉廷する。
乙事件(2001年12月19日)の被害者女性(19)はある人にだけ事件のことを打ち明け、二人で抱き合って泣いた。
両親には一生このことを話すことはできない。

●第54回公判 2004年6月3日木曜日11:00(第528号法廷)
  傍聴席43席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

藤村翔(元日本大学法学部3年)の判決。
懲役6年(実刑)。未決勾留期間230日を刑に参入。
約30分で閉廷する。

●第55回公判 2004年6月4日金曜日11:00(第528号法廷)
  傍聴席43席、抽選なし(先着順・おそらく全員は傍聴不可)

小林大輔(元学習院大学経済学部1年)の判決。
懲役6年(実刑)。
約30分で閉廷する。

●第56回公判 2004年6月4日金曜日13:30(第104号法廷)
  傍聴席89席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

和田真一郎 (元早稲田大学第二文学部学部2年)の証拠調べ手続。
情状証人として友人一人が出廷した。
約3時間半で閉廷する。
証人の証言の補足がなければ次回期日で論告求刑、次々回で判決。

13:30開廷。証人尋問、被告人質問
15:20休憩
15:45被告人質問
17:00閉廷

(和田の友人への弁護人による主尋問)
黒スーツ。和田よりいくつか年下。
一瞬和田本人かと思われるほど容姿や声質が似ていた。
和田とは早大の先輩を通じて6〜7年前に知り合い、逮捕されるまで付き合ってきた。
当時、既に和田はスーフリの代表だった。
自分はスーフリのスタッフではなく、スタッフになるよう誘われたこともない。
1997〜1998年当時の構成員は10名程度だった。
組織事務所には何度か行ったことがあり、イベントやその二次会にも5〜10回参加した。
ただし、二次会の終わりに事務所に行ったことはない。
1999年の沖縄ツアーと2000年3月のスキーツアーにも参加した。
ツアーの参加者は20〜25名程度で、その内女性は6〜7名程度だった。
ツアー参加者の半数がスタッフだったが、輪姦が行われたということはなかった。
その他、和田と個人的に温泉(群馬、北海道等)に行ったり食べ歩きをした。
証人は和田の弁護人である門上チエ子弁護士の事務所を自分で探して訪問し、両親から勘当された和田のために情状証人となることを希望した。
そして、和田の更生と社会復帰のために尽力することを誓った。

(和田の友人への検察官による反対尋問) 
2003年冬に和田の弁護人を訪問したというが、逮捕から約半年間の報道を見聞しても和田が罪を犯していないと考えているのかと追及されていた。
証人は姉または妹がいるというが、その姉や妹が同じ目に遭ったらどう思うのかと尋ねられていた。
証人は「強い憎しみを持つと思います」と答えた。
検察官は「被害者の女性の思いはそんな程度ではないですよ」と指摘していた。

(検察官による被告人質問)
六本木ヴェルファーレにはVIPルームがあり、イベント中にフロアから女性を招いていた。
外見が華やかでかわいい女性が招かれる傾向があった。
それらの女性は写真を撮って登録し、雑誌やテレビ等のメディアにモデル等として出演させていた。
それらの女性には飲食代が無料となる招待券や割引券を配布して積極的に二次会に招いていた。
どの女性をVIPルームに招くかの権限は岸本英之にあった。
岸本英之に権限があったのは、女性との会話に長けていることと部下の扱いに秀でていることによる。
甲事件(2003年5月18日)の会場である居酒屋の甘太郎を選んだのは和田真一郎。
その場には男女15名(男7、女8)がいた。
男の内訳は逮捕された5人とオオサワユウイチ、小林大輔の個人的な友人。
女性の内訳は常連客4、非常連客4(被害者は非常連客の一人)。
オオサワユウイチと女性常連客4人は間もなく店を出た。
オオサワユウイチと女性常連客4人が和田らの常習的な輪姦行為を認識していたかは不明。
検察官は、「自分は指示していない」という和田に対し、「あなたがやめろと言えば終わりだった話でしょ」と追及していた。

(弁護人による被告人質問)
高校卒業までは女性と接することもあまりなく、どちらかといえば真面目だった。
自分がこうなったのは、早大に入学してからの人間関係が大きく影響していると思う。
早大入学当初はスーフリ、テニスサークル、クラスの3つが活動や友人を得る場だった。
徐々にスーフリの人間のみと付き合うようになった。
それはテニスよりもスーフリの先輩の方が遊び慣れていて頼もしく思える人が多かったため。
スーフリの先輩のように振舞えば、女性と堂々と接することができるようになるのではと思った。
仮面浪人を経て早大に入学したこともあり、華やかな世界に憧れがあったことも一因。
スーフリの先輩はマワしはしていなかった。
しかし、女性を性欲のはけ口としか思っていないような会話をすることがままあった。
自分も女性経験が増えるうちに、次第に女性に対する思いやりの気持ちがなくなっていった。
輪姦を活発に始めるきっかけとなったのはあるスタッフの提案による。
そのスタッフとはサクライといい、1998年にスーフリに加入した。
サクライが掛け持ちしていた明大のイベントサークルで輪姦が活発に行われており、「スーフリでもマワしをやりましょうよ」と提案された。
自分は当時既に女性に対する思いやりの気持ちが薄れていたため、その提案に興味を抱き採用した。
自分はこの事件を起こしたことで、人として社会に出る資格がなくなってしまったと思う。
弁護人に「殺害した以上の人権侵害をして女性を追いやったことを分かっていますね」と確認されていた。
和田真一郎は「被害者女性の気持ちをいやせるなら、残りの人生すべてを捧げたいと思います」と述べた。

(検察官による被告人質問)
和田が起訴事実の一部について、机をたたいたり大声を出したりの威迫されたことによるものと主張した。
検察官は書証と突き合わせてそのような事実はないと主張した。
中谷雄二郎裁判長も和田の供述の任意性について認定した。

(裁判官による被告人質問)
中谷雄二郎裁判長に以下のとおり質問等を受けていた(これまでの公判で最も長かった)。

中谷「犯行当時は罪の意識がなかったと言いましたね」
中谷「どういうことなのか理解に苦しむんだけど」
中谷「いったい自分が何をやってると思ったの?」
中谷「想像するだにおぞましい場面でしょ。あなたがやったことは」
和田「・・・」
 
中谷「組織の中での役割という点から質問したいんだけど」
中谷「あなたが中心になって輪姦を繰り返していた」
中谷「それをあなた自身はどう考えているんですか」
和田「(輪姦に参加するかどうかは)本人の意思しだいだと思っていました」
 
中谷「小林潤一郎が10年、藤村翔が6年、その他の被告人も全員2年4月以上の実刑を受けている」
中谷「それは組織に関わったからではないんですか」
中谷「あなたは代表者として組織に関わったことをどう考えているんですか」
中谷「私は組織が輪姦を容認する体制を組んだのはあなたなんじゃないかと言いたいんです」
中谷「他の被告人は20代半ばの者もいるけどほとんど22歳の人までだよね」
中谷「結局、スーパーフリーという組織の問題なんじゃないんですか」
和田「・・・はい、それはそのとおりだと思います。私の責任です」
 
中谷「よく分からないのは、あなた20代後半だよね」
中谷「あなた自身、組織をどうしようと考えていたのか」
中谷「自分の人生をどうしようと考えていたのかを聞きたいんだけど」
和田「イベントをビジネスにしたいと思っていました。定職に就くということでなくても」
 
中谷「しかし、こんな(輪姦を容認するような)組織じゃビジネスになりようがないでしょ」
和田「・・・はい、なりません」
 
中谷「あなたが一番反省すべき点は何だと思っていますか」
和田「すべてにおいて他者に対する思いやりがなかった点がまず最も反省すべき点だと思います」
 
中谷「その原因は何ですか」
和田「私の意志の弱さ、楽しい方、楽な方に流れていく意志の弱さです」
 
中谷「これから長い服役生活になると思いますが、それをどのように考えているんですか」
和田「まず、被害者のことを一日たりとも忘れないということ」
和田「そして、いつの日か周りの人に思いやりを持って接することができるように自分を変えていきたいです」

●第57回公判 2004年6月11日金曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席42席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

岸本英之(株式会社ジョブマガ代表・慶應義塾大学商学部卒)の判決。
懲役7年6月(実刑)。

●第58回公判 2004年6月25日金曜日13:30(第104号法廷)
  傍聴席80席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

和田真一郎 (元早稲田大学第二文学部2年)の証拠調べ手続。
弁護側証人として和田真一郎の父親(ワダミツオ氏)と若松直樹が出廷した。
約3時間15分で閉廷する。
次回期日で論告求刑、次々回で判決。

13:30開廷。証人尋問(ワダミツオ氏、若松直樹)
15:10休憩
15:30証人尋問(若松直樹)
16:45閉廷

(和田真一郎の父親への弁護人による主尋問)
よく日焼けした赤ら顔。
やややせており、短く刈り込んだ白髪。
灰スーツに白シャツ。
非常にさばさばとした口調。試合に負けたチームの監督が語る敗戦の弁といった印象。
 
(参考)他の父親は沈痛な表情で自分の心情や被害者女性への思いを語ることが多い。特異なのが小林潤一郎と高山知幸の父親で、小林潤一郎の父親は検察官に議論を挑み、なしうるならば言い負かしてやろうといった印象。高山知幸の父親は、親子のコミュ二ケーション不足を指摘した検察官に対して「今からやりますよ」と忌々しげに答えた(このような反抗的な態度を取ったのは高山知幸の父親のみ)。
この事件によって夫婦は別居した。
妻は精神的打撃が大きく、今も親戚の元に身を寄せている。
和田真一郎は国立新潟大学付属小学校に6年間通った。
クラスで1、2を争う成績だった。
卒業間際に東京都三鷹市立の小学校に転校した。
父親は新潟で建設業・清掃業・廃棄物処理業など7つの企業の代表を務めていた。
その後、東京都三鷹市に移り住み、渋谷区笹塚で主にゼネコンの下請け業を18年間営んでいた。
東京への移転は事業の失敗等ではなく、より大きな仕事をしたかったため。
和田真一郎には家業を継いでほしかったので勉強より仕事を手伝えと言っていた。
岸本英之と高田馬場で同居する前に川崎市の実家から大学に通っていたこともあった。
事件の半年前、イベントの運転資金の借入を申し込まれ、400〜500万円貸した。「多少の力水を入れてやろうと思い、援助した」
和田真一郎が大学を除籍処分となるまで学費を出していた。
今回の事件が起こることは想像もできなかった。
事件は新聞を見て知った。
父親は門上チエ子弁護人に息子がやったとは信じられないと泣いて訴えた。
新潟時代の知人・友人からも人違いではないかと多数の電話があった。
事件後、非常に落胆し、何も手につかず、食事ものどを通らず仕事もできなくなった。
体重が13キロ減った。
現在は父親は昼夜を問わず働いている。
接見は長い間認められなかった。
接見では、以下のとおり話した。
「俺は決して許さんぞ」
「これだけの事件を起こしたんだから絶対に許さん」
「一回死んだくらいじゃ収まらん」
「二回くらい死んでくれないと収まらん」
和田真一郎はその場で土下座して謝罪した。
二度目の接見で損害賠償金の話が出た。
和田真一郎は何とか被害者女性に対してお金を用意してくれないかと父親に頼んだ。
和田はイベント1回あたり約100万円の利益があったはずであるにもかかわらず、預貯金がなかった。
それどころか、消費者金融に約500万円の債務を負っていた。
さらに、若松直樹から320万円を借り入れていた。
そのため、父親が2003年7月より若松直樹に月々十数万円を弁済している。
父親は新潟の実家を訪ね、山林がかなりあり、宅地も若干あることからそれらを全て売却して損害賠償金に充てようとしている。
しかし、かなり以前から不動産会社を通じて売却先を探しているにもかかわらず、買い手がつかない状態が続いている。
門上「父親として和田真一郎の出所を待っていますか」
父親「まあ・・・親ですから。首を長くして待っていると思います」
門上「和田真一郎は両親や兄弟を裏切ってしまったと涙を浮かべて謝罪していました」
「その気持ちを受け止めてあげられますか」
父親「その程度じゃ納得できません」
「被害者の方や世間の方に対しても納得できません」

(和田真一郎の父親への検察官による反対尋問)
これまで比較的真面目だった和田真一郎がなぜこのような事件を起こしたと思うか。
「簡単に言って馬鹿だからですよ」
「利口じゃないから。考える力がないから」
「そう思いますが」
大学を卒業して給与を得ることもなく過ごしていたことをどう思うか。
「もともと給料をもらうような仕事はするな。商売をしろ、経営者になれ、と言っていました。その代わり、汗水たらして働けと言っていました」

(和田真一郎の父親への裁判官による尋問)
接見の頻度は週に一度。
父親以外(母親や兄弟など)は誰も接見に行っていない。
家族ははれ物に触るがごとく遠慮して生きている。
母親は拘置所の近くには行けるが直接会ってはいない。
最後に父親は検察官、裁判官、弁護人、傍聴席に対して深々と頭を下げた。これまで傍聴席にまで頭を下げた父親はいなかった。

(若松直樹への弁護人による主尋問)
若松直樹は坊主頭で灰色の受刑服(半袖)に身を包んでいた。
尋問の内容は概ね、和田だけに責任を過重に押し付けているのではないか、責任は全員にあるのではないかなどといったこと。
若松直樹は1998年4月から副代表を務めていた。
当時の構成員は以下のような者がいた。
彼らは目立つタイプで、「積極派」だった。
具体的には、「ルール」から離れた人々だった。
シナガワゼンジロウ
サクライカツノリ
タナミマサカズ
ムライシタケヒコ
卒業後、いったん就職で引退するが、会社を退職し、岸本の株式会社ジョブマガの監査役となった。
監査役の報酬は月額20万円。
その結果、再びスーフリに出入りするようになった。
東京女子大のアラタニという女性がいた。
その女性は頻繁に組織事務所を訪れ、イベントの手伝いもしていた。
その女性は和田真一郎を尊敬していたようだ。
※この女性が和田らの組織的な輪姦行為について関与または認識していたかは不明。

(若松直樹への検察官による反対尋問)
以下のとおり追及されていた。
マワしに参加しない者がいたといってもそれはごく少数でしかなく、圧倒的多数は参加していた。
また、直接姦淫行為に及んでいなくとも、ブロッキング等には参加していた。
マワしに反対していたというよりは異を唱えなかっただけで黙認していた。

(若松直樹への裁判官による尋問)
輪姦が行われるようになったのは1999年頃からだが、中心になっていたのは和田真一郎。
2002年にスーフリに復帰したときに輪姦が活発に行われていたのは岸本英之の影響があると思う。
自分のやってきたことと和田真一郎に対してどのような考えを抱いているか。
「これだけ人を傷つけて悪いことをしてしまった。本当に深く反省している。これは和田さんだけではなく他の人にも言えることですが、厳しい日々が続くと思うけれども責任を取って生きていってほしいと思います」

●第59回公判 2004年7月12日月曜日10:00(第104号法廷)
  傍聴席65席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

和田真一郎 (元早稲田大学第二文学部2年)の弁論手続。
検察は懲役15年を求刑。
斎藤博志検察官は、犯罪手口が他の類似の集団に模倣されるおそれを考慮し、一般予防の見地からも厳罰に処する必要がある、と述べた。
約35分で閉廷する。
次回期日で和田と弁護人の最終弁論、次々回で判決。

(参考)大澤孝征弁護士(元検察官・早稲田大学法学部卒)の発言
(2004年7月12日テレビ朝日17:00のニュース)
求刑15年は凶器を用いた殺人に匹敵し、非常に重い。これは、犯行の悪質さに加え、同様のグループに犯行が模倣されるおそれがあることから見せしめとしての意味もあるだろう。現時点では妥当な求刑と考える。判決はおそらく懲役12〜14年の間になるだろう。

●第60回公判 2004年9月27日月曜日10:00(第104号法廷)
  抽選なし(全員傍聴可)

和田真一郎 (元早稲田大学第二文学部2年)の弁論手続。
和田真一郎の最終陳述と弁護人の最終弁論。
約35分で閉廷する。
次回期日で判決。
弁護人は以下のとおり述べた。
「このように社会を騒がせた事件は、弁護人の知る限り昭和史にはなかった」
「事実については弁護の余地がないといえる。それほど本件は滅茶苦茶な性犯罪だと思料する」
和田真一郎の父親は経営する建設会社が倒産した。
そのため、現在はタクシー運転手として働いている。
新潟の山林は売却先がいまだに見つかっていない。
そのため、損害賠償金を誰にも支払っていない。
和田真一郎は最終陳述で、用意した書面を読み上げ、自身の誘惑に弱い性格のために欲望と自我だけが肥大し、その結果、取り返しのつかない罪を犯し、これは万死に値すると述べた。書面が長く時間が足りないことから、途中で切り上げ、残りは証拠として裁判長に提出された。

捜査手法等を批判する場面も見られたが、これまでの公判で明らかにされた犯行内容等からすれば、言い逃れ以外の意味はなく、判決にも影響はないように思われた。

●第61回公判 2004年11月2日火曜日15:00(第104号法廷)

和田真一郎(元早稲田大学第二文学部2年)の判決。
懲役14年(実刑)。

判決理由で中谷雄二郎裁判長は以下のとおり述べた。
  
 「被害女性の人間性を無視し、性的快楽の道具のように扱う態度は、人間としてあるまじき下劣かつ醜悪なもので、誠に悪質」(共同通信)
  
 「集団強姦を目的とした組織的な犯罪集団を中心となって作った被告人の責任は、共犯のほかのメンバーに比べて格段に重い」(朝日新聞)
  
 「高度に組織化された強姦集団で主導的役割を果たしており、被害者や家族に与えた精神的苦痛は重大」(毎日新聞)
  
 「被害感情は峻烈(しゅんれつ)で、反省していることを考慮しても厳罰で臨むべきだ」(東京新聞)

判決言渡後の裁判長から和田真一郎への言葉(テレビ朝日)
「これから長い服役生活になると思うけれども、被害女性に与えたダメージや犯行に果たした役割を直視して服役生活を送り、社会復帰したら更生し、二度とこういう場に立たないことを期待します」
和田真一郎は腰縄をつけられ退廷する際、弁護人、検察官に深々と頭を下げたが、満員の傍聴席には一度も目を向けなかった(産経新聞)
東京地裁前からの中継((テレビ朝日)
「判決はこれまでの和田被告人の弁解をことごとく退け、集団暴行を目的とする組織的な犯罪集団を育て上げた張本人と認定しました」
「現在30歳の和田被告人ですが、拘置所では落ち込んだ様子もなく、最近では、最高裁まで争って30代のうちに出所することに意欲を示していたということです」
  
中谷雄二郎裁判長は、「(和田の)反省の姿勢に、重大な疑念が残る」と指摘した(産経新聞)
  
角田由紀子弁護士の指摘(読売新聞)
「今回のように、顔見知りやグループ内の犯行は表に出にくいだけに、被害者が早期に相談できる体制の整備が必要だ」

Link 判決全文  --->  H16.11. 2 東京地方裁判所 平成15年合(わ)第275号,第375号,第526号 準強姦