裁判の情報9



●第37回公判 2004年4月8日木曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席33席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

若松直樹(元組織副代表・早稲田大学理工学部卒)の判決。
逮捕・起訴された14人中初の判決となる。
懲役2年6月(実刑)。未決勾留期間100日を刑に算入。
約15分で閉廷する。
以下のとおり判示されていた。
「被告人らの行為は被害者の人格や心情など全く無視したものであり、まことに自己中心的な発想であるというほかない」
「単なる性欲のはけ口・快楽を得るための道具として扱われた被害者女性の恥辱感・喪失感・絶望感は察するに余りある」
「被害者には本件のような被害を受けるいわれは全くない」
「組織的・計画的な手口を考慮すると、被害者に落ち度と見られる点は認められない」
被害者女性は事件の後遺症で、街で茶髪・黒スーツの人を見るとスーフリを連想し、不安になるなどしている。

●第38回公判 2004年4月8日木曜日13:30(第528号法廷)
  傍聴席36席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

関本雄貴(東京ビジュアルアーツ専門学校中退)・関本隆浩(元東京電機大学工学部2年)兄弟の判決。
関本雄貴は懲役2年8月、関本隆浩は懲役2年4月。
いずれも実刑で、それぞれ未決勾留期間100日を刑に算入。
関本雄貴は組織内で比較的中心的立場にあったこと、関本隆浩は犯行当時未成年で輪姦への参加は本件のみであったことなどが量刑に反映された様子。
約20分で閉廷する。

●第39回公判 2004年4月9日金曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席36席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

吉野豪洋(元法政大学経済学部3年)の判決。
懲役2年6月(実刑)。未決勾留期間120日を刑に算入。
約25分で閉廷する。

●第40回公判 2004年4月9日金曜日13:30(第528号法廷)
  傍聴席36席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

高山知幸(元東京大学農学部3年)の判決。
懲役2年6月(実刑)。未決勾留期間80日を刑に算入。
約20分で閉廷する。

●第41回公判 2004年4月9日金曜日14:30(第528号法廷)
  傍聴席36席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

吉村直(元慶應義塾大学経済学部2年)の判決。
懲役2年4月(実刑)。未決勾留期間100日を刑に算入。
約25分で閉廷する。

●第42回公判 2004年4月13日火曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席37席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

岸本英之(株式会社ジョブマガ代表・慶應義塾大学商学部卒)の証拠調べ手続と弁論手続。
証人として婚約者と友人の2名が出廷した。
検察は懲役9年を求刑。
岸本英之の両親が乙事件(2001年12月19日)の被害者女性に対しても1000万円を支払った。
約1時間で閉廷する。
次回期日も弁論手続。次々回で判決。

(岸本英之の婚約者の証言)
黒スーツ(おそらく20代)。
飲食店店長(どのような業態の飲食店かは不明)。
6月から岸本が逮捕される7月31日まで約1ヶ月、自分の部屋で同棲していた。
強姦の事実を聞いたときは裏切られたというショックが大きかったが、岸本への気持ちが強く、交際を続けている。
合計4回接見に行った。
3月 岸本英之の母親と2人で
3月 岸本英之の両親と3人で
4月 自分1人で
4月 自分1人で
岸本英之の出所後に結婚し、共に大阪に居住する予定。
結婚のことは両親には話していない。
岸本英之はこの女性の証言中、うつむいて涙を流していた。

(岸本英之の友人の証言)
紺スーツ。大柄で太め。大きな声で証言していた(おそらく20代)。
岸本英之とは2000年11月に知り合った。
具体的には、自分が人材派遣会社在籍中に哲学セミナーの二次会で会った。
岸本英之の人情味あふれるところを魅力的に思い、付き合ってきた。
例.夜中の3時頃に電話をかけてきた女性を八王子まで車で迎えに行っていた。
2週間に一度程度電話し、最低でも月に一度は飲みに行っていた。
2001年4月にリクルート出資で岸本英之が設立した会社に入社した。
岸本は、いくつか会社を作ってきたがやっと利益を出せるようになったと言っていた。
岸本は仕事が早い(企画書をすぐ作るなど)と評判だった。
岸本英之が罪を犯したことについては何ともいえない思いだ。

(検察による論告・求刑)
強姦は2001年12月19日の事件で約3時間、2003年4月27日の事件で約2時間半に及んだ。
2003年4月27日の事件の被害者女性は1000円札を渡され、トイレのスリッパで帰宅した。
靴や財布、携帯電話がなくなっていた。
被害者女性は被告人らを一生刑務所に入れておいてほしいと言っている。
求刑が9年だったことについて傍聴席から軽いどよめきが起こった。

●第43回公判 2004年4月13日火曜日11:00(第528号法廷)
  傍聴席37席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

沼崎敏行(元早稲田大学政治経済学部3年)の弁論手続。
検察は懲役4年を求刑。
約40分で閉廷する。
次回期日で判決。
2003年5月18日の事件の被害者女性から犯行現場の居酒屋で以下のとおり叱責された。
「あんたたち何やってんの?自分がやったことを親に言えるの!?」
出所後は伯父(叔父?)の職場で働く予定。
沼崎敏行は慢性糸球体腎炎(蛋白尿や高血圧が持続する)に罹患している。
悪化した場合には人工透析の必要が生じる場合もあるため、東京医科大学で投薬治療を受けていた。
拘置所で当初は接見が認められず、差入もできなかったため、別の薬を飲んでいた。
被害者女性に損害賠償金を受領してもらえないため、一部である300万円を供託している。
受領してもらえなければ、300万円は法律扶助協会に寄付する予定。
沼崎敏行の最終弁論は「責任を持って生きる」と題する5分程度の長さのもの(通常は一言あるかないか)。
自身をオウム真理教の構成員や武富士の社員になぞらえて、組織内で当時自分が和田らに逆らえなかったことを説明し、しかし、その環境を選び、強姦の実行行為に及んだ責任は自分自身にあり、罪を償いたいとするもの。

●第44回公判 2004年4月13日火曜日13:30(第528号法廷)
  傍聴席37席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

宇田篤史(無職・読売東京理工専門学校中退)の判決。
懲役2年4月(実刑)。未決勾留期間110日を刑に参入。
約30分で閉廷する。

●第45回公判 2004年4月14日水曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席37席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

小林潤一郎(元早稲田大学教育学部4年)の弁論手続。
検察は懲役13年を求刑。
弁護人は最終弁論で被告人の行為を「獣欲の化身のごとき犯行だ」と述べた。
小林潤一郎側は3人の被害者女性のいずれにも損害賠償金を支払っていない。
約45分で閉廷する。
次回期日で判決。

(検察による論告・求刑)
甲事件(2003年5月18日)で怒りをあらわにして和田らを叱責した被害者女性に対して、小林潤一郎らは「みんなの前で泣かない方がいいよ」「俺たち無理やりじゃないよね」などと犯行をごまかし、泣き寝入りを迫ろうとした。
小林潤一郎は避妊措置を講じることなく被害者女性を姦淫した。
小林潤一郎は女性に気づかれずにスピリタス(アルコール度数96度のポーランド産ウォッカ)を混入する技能を「俺って薬剤師みたいだろう?」などと自画自賛していた。
逮捕後も素直に供述するどころか犯行を否認し、被害者女性に対する侮辱的な発言を繰り返した。
両親の証言からは十分な指導監督ができるとは思われず、適切な監督者はいない。
※小林潤一郎の父親は関本兄弟や藤村翔、吉村直の父親のような真摯な反省の態度とは程遠かった。
※「適切な監督者はいない」とまで言われたのは小林潤一郎の両親のみ。
したがって、長期の刑を科すことにより、徹底的な矯正が必要。 

(弁護人による最終弁論)
出所後に安定した就職先を見つけることはほぼ絶望的であることは被告人自身がよく認識している。
早大に現役で合格し、就職難の中、企業から内定を得るなど本来は真面目な点も考慮して寛大な判決をいただきたい。
被告人は現在も拘置所で中国語・英語・歴史などを勉強している。芥川賞受賞作品も読んだ。
※小林潤一郎と綿矢りさは同学部。学科はおそらく異なる。

●第46回公判 2004年4月14日水曜日11:00(第528号法廷)
  傍聴席37席、抽選なし(先着順・おそらく全員は傍聴不可)

小泉創一郎(元産能大学経営学部2年)の判決。
懲役2年8月(実刑)。未決勾留期間110日を刑に算入。
約35分で閉廷する。
丙事件(2003年4月27日)の被害者女性を連れ出したのは小泉創一郎。
犯行後も麻雀などの際に「あれは俺がやった」などと「手柄」を吹聴していた。
意識混濁状態の被害者女性がうわ言のように「ごめんなさい、ごめんなさい」という様を指差して笑って見ていた。
※以上の点が量刑に反映されている様子。
中谷雄二郎裁判長は、弁護人の「性に開放的な現代の風潮も一因」とする主張に対して、「本件の犯行態様はそういった風潮とは次元を異にするものであり、被告人に汲むべき事情は全くない」と判示した。

●第47回公判 2004年4月16日金曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席37席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

藤村翔(元日本大学法学部3年)の弁論手続。
検察は懲役9年を求刑。
約40分で閉廷する。
藤村が中学時代に手助けをした不登校の生徒からの裁判長への嘆願書が提出されていた。
弁護人の最終弁論で藤村翔から高校時代の恩師への手紙が約3分にわたって読み上げられた。
手紙は今年の2月に書かれたもので、家族や母校などへの謝罪が主な内容。
藤村翔は手紙が読み上げられる間、うつむいてしゃくり上げながら涙を流していた。
藤村翔は最終弁論で「謝罪の気持ちを忘れずに、刑を厳正に受け止めて生きていきたいと思います」と述べた。
 
(参考)藤村翔から見た組織序列
上の学年・年齢
同じ学年・年齢
下の学年
 
01位和田真一郎
02位岸本英之
03位サトウシンイチロウ
04位若松直樹
05位関本雄貴
06位小林潤一郎
07位エザワ
08位沼崎敏行
09位藤村翔
10位小林大輔
11位吉野豪洋
12位高山知幸
13位小泉創一郎
14位吉村直
15位関本隆浩
宇田篤史は正式な組織構成員ではないため除外されている。
ツジとオノへの言及がなかったが、おそらくツジは小林潤一郎、オノは藤村翔の前後。
序列の上下と強姦への参加に関連はない(下位でも希望すれば参加可)。

●第48回公判 2004年4月19日月曜日13:30(第528号法廷)
  傍聴席37席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

小林大輔(元学習院大学経済学部1年)の弁論手続。
検察は懲役9年を求刑。
約40分で閉廷する。
次回期日で判決。

(検察による論告・求刑)
甲事件(2003年5月18日)の被害者女性の友人が心配して探そうとしたときに、「(藤村)翔は救急救命士の資格を持ってるから大丈夫」とブロッキングした。
自身は藤村翔の次に姦淫し、見張りをしながら藤村翔に「早く終われ」と催促していた。
姦淫後、被害者が恐怖と怒りで震え、泣きながらトイレに入ったすきに、被害者のハンドバッグを勝手に開けて携帯電話を取り出し、自身の番号を消去して証拠の隠滅を目論んだ。

●第49回公判 2004年4月20日火曜日10:00(第104号法廷)
  傍聴席91席、抽選なし(全員傍聴可)

和田真一郎(元早稲田大学第二文学部2年)の証拠調べ手続。
検察側証人として関本兄弟が出廷(それぞれ約1時間ずつ尋問)。
約2時間で閉廷する。
弁護人は情状証人を準備中。
丙事件(2003年4月27日)の被害者を看病する母親も自律神経失調症となった。

(関本雄貴に対する証人尋問)
ムラカミ(北海道大学)が2003年4月19日に輪姦に参加したと本人から聞いた。
コンドウ(北海道支部長・北海道大学)については知らない。
その他、和田真一郎が輪姦に積極的だったことが説明される。

(関本隆浩に対する証人尋問)
2003年9月半ばから任意で事情聴取を受け、10月に逮捕された。
犯行後、「他人の足を引っ張らないように」と口裏合わせを行っていた。
以下の和田の発言について記憶している。
「新しいスタッフにはどんどん撃ってもらわないと」
「二次会は撃つ女を捜す場所だ」
「新入生の女は酒に弱いしゲームにも弱い」
2003年4月27日に輪姦が行われることは事前に分かっていた。
2003年4月19日に和田が「(北海道支部スタッフを)撃たせてやってくれ」と指示し、22日にも「27日も撃たせろ。みんなで撃とう」と発言していたため。  
丙事件(2003年4月27日)では和田に被害者女性を「こいつ事務所に連れてけ」と指示された。
小泉と自分が被害者をレンタカーのワゴン車に乗せ、高山知幸が運転して連れて行った。