裁判の情報4



●第17回公判 2004年2月24日火曜日14:30(第528号法廷)
  傍聴席42席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

小林大輔(駒澤大学の2年間を経て学習院大学)の証拠調べ手続。
父母が証人として出廷。
父親は短く刈り込んだ白髪。長身・太目で日焼けしている。
母親は小柄で黒短髪。濃灰のスーツ。
父親はクレーン建設関係の会社経営。妻と二人で取締役を務める。
従業員数は10〜15人程度。
一家の年収は約2160万円(父親:約100万円×12、母親:約80万円×12)
約2時間で閉廷する。
示談は今のところ成立していないが示談金支払の用意はある。
次回期日で論告求刑。おそらく次々回で判決。
閉廷直後に傍聴人の赤髪男が検察に暴言を吐いた(詳細後述)。

(検察官の書証の読上げ)
2003年5月18日の被害者女性(20)について
現在事件の後遺症で過換気症候群に罹患している。
そのため、電車に乗った際やアルバイトの面接の際などに不都合が生じている。
示談には一切応じるつもりはなく、厳罰に処してほしいと言っている。
2003年4月27日の被害者について
母親が娘が過食症になったと気付いたときの状況が説明される。
2003年5月に家の中に蝿が飛び、腐臭が立ち込めていた。
母親が不審に思い家中を探してみると、風呂場の排水溝におでんが入っていた。
家族に過食症を気付かれまいと娘がそこに吐いたようだった。
過食症は事件から1週間後にあらわれた。
大量のうどんにミートソースをかけるなどして食べては吐いた。
吐くと体温が下がり、室温を30℃にしても寒さを訴えた。
何も助けてやることができず、身が張り裂ける思いだ。
こちらから寛大な処分とは口が避けても言えない。
示談金の支払に応じたのは宥恕するためではなく、懲罰的な意味でのこと。
被害者女性は2003年5月18日の被害者同様、被告人を厳罰に処してほしいと言っている。

(弁護人による被告人質問)
家族構成は両親と妹2人、弟1人。
妹は私立大学1年生と小学5年生、弟は私立高校1年生。
高校時代は登校はしていたが勉強はほとんどせず。
友人の家を泊まり歩き、バイクに乗るなどしていた。
大学受験のため高3の5月に塾に入ったが、実際に勉強を始めたのは11月。
偏差値は30程度しかなかったが、駒澤大学に合格した。
その後の状況
 
2001年4月駒澤大学入学
5月スーフリ入会・・・「ワーク」というスーフリのダミーサークルのチラシを見て。友人は大学進学していない場合が多く、一度大学の合コンというものに呼んでほしいと頼まれていた。
11月輪姦に初参加(3人で女性を姦淫)。
2002年4月全国展開を機に階級制度導入(1軍〜2軍)。
階級制導入以前のメンバーを1軍、それ以降のメンバーを2軍とした。
階級制導入当時は2軍までで3軍はいなかった。
高アルコール度数のスピリタスを用いたのもこの頃だった。
6月スーフリを辞めた(再受験した和田に触発され、受験勉強開始)。
2003年3月20日和田からの直接の誘いもあり、スーフリのイベントにOBの形で参加した。
4月学習院大学に入学。
4月27日復帰して二回目のイベントだった。規模が大きくなり、全国から人が集まって大分違う雰囲気になっていた。特定の女性を強姦するためにイベントに参加していたが、輪姦に呼ばれ、予定を変更して輪姦に参加した。
輪姦に初参加したときの感想「初めてコンタクトレンズを付けたときの感じ」
スピリタスを混入した酒類は「スーパー」「和田サン用」とも呼ばれていた。
チケット販売の報酬はイベント1回あたり10〜15万円だった。
中には100万円以上稼いでいた者もいるようだ。
鬼畜班は和田をはじめとして輪姦推進者。和み班は「お持ち帰り」推進者。
自分はどちらかといえば和み班だったが、鬼畜班でもあった。
事務所での輪姦は3〜5名の女性を組織事務所に連れ帰って行われた。
ほぼすべてのイベントでそのような輪姦が行われていた。
段取りは事前に決められていなかったが、先輩の見よう見まねで実行行為に及んだ。
合意の上の「お持ち帰り」後に仲間を呼んで輪姦行為に及んだこともあった。
女性スタッフは組織的な輪姦行為について認識していた。
目標の女性に酒を飲ませ酔わせるなどして犯行に積極的に加担していた。
女性スタッフのスタッフになる目的の一つには、目を付けた男性と性交することがあった。
合意の上で複数のスタッフと乱交していた女性スタッフもいた。
2002年の初めに日大法学部の藤村翔に自らの行為が刑法に抵触するか質問した。
藤村翔の答えによると問題ないということだった。
しかし、司法試験受験志望のスタッフに聞くと、犯罪にあたるということだった。
自分の都合のよい藤村翔の意見を採用した。
スーフリ入会の2001年時には交際する女性はいなかった。
その後、交際するわけではなかったが、複数の性交する女性ができた。
スーフリを辞めてからチケット販売で貯めた約30万円で受験勉強開始。
2003年4月に学習院大学に入学した。
学習院大学ではテニスサークルやESSに入会していた。
2003年5月18日の被害者は自分が二次会に誘った。
その女性が輪姦の標的になるとは思っても見なかった。
結局、藤村翔がその女性を酔いつぶし、自分も輪姦に参加した。
輪姦後、その女性は今まで見たこともないほど非常に怒っており、驚いてしまった。
輪姦後、その女性の携帯電話から自分の電話番号記録を削除した。

(父親の証言)
クレーン建設関係の会社を経営している。
30歳で個人事業主として独立した。
37歳で有限会社を設立した。
恨まれてもいいからと息子には厳しく接していた。
小林大輔が高校生の時に茶髪にした際、厳しく叱り、学校にも抗議に行った。
強い緊張のせいか、弁護人の質問を何度も聞きなおしていた。
最後には涙ながらに証言していた。
600万円の示談金については支払う用意あり。
接見には二度行った。

(母親の証言)
小林大輔は中学1年のときにバスケットボール部に入部していたが、1年の夏に辞めた。
遅刻が非常に多かった。
高校生のときに父親と殴り合いのけんかをした。
高校生のときに親の反対を押し切りバイクを購入した。
バイク代はガソリンスタンド・コンビニ・ドーナツ店のバイト代で賄った。

(赤髪男の暴言)
閉廷直後に傍聴席最前列右寄で傍聴していた赤髪男が暴言を吐き逃走した。
具体的には「ちゃんと事実確認しとけよふざけんなバカ」というもの。
この小柄の男(165センチ弱)がスーフリの残党がどうかは不明。
小林大輔の個人的な友人ではないかとの見方もある。
この男の髪の色は芸人のロンドンブーツ1号を思わせた。
この赤髪男は黒襟の灰茶色コート、紺ジーンズ、素足に安全靴を思わせる茶色ブーツ(ひもは結ばず)。
その後、吉野弦太検察官の追跡を受け、エレベーターホールで押し問答となった。
吉野弦太検察官の「何か文句あんの?」との詰問には応じず、逃げるように階下に降りた。
エレベーターホールでは傍聴人から「逃げんなよ茶髪」との声も飛んだ。
その後、この赤髪男は裁判所1F受付でも何かを喚き立て、再度528号法廷に戻って行った。
話し振りではこの男は逮捕歴がある様子。
この男の友人もややうんざりした面持ちで共に528号法廷へ戻って行った。

●第18回公判 2004年2月23日月曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席42席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

高山知幸の弁論手続。
検察は論告で本件を「組織的・常習的な前代未聞の事件」と指摘した。
検察は懲役4年を求刑。
約30分で閉廷する。
次回期日で判決。
高山知幸は当日乗用車でスピリタスやマット等を運搬したが、車内をカーテンで目隠ししたり、車内で姦淫できるようにシートを倒すなど余念がなかった。
居酒屋での姦淫後、意識の混濁した被害者女性が車内で「ごめんなさい、ごめんなさい」という様を高山知幸らは指差して笑って見ていた。
被害者女性は摂食障害の上、睡眠障害を併発している。
高山知幸の弁護人は本件を「薄汚い事件」だと感じた。
そのため、弁護を引き受けるのをちゅうちょした。

●第19回公判 2004年2月24日火曜日14:30(第528号法廷)
  傍聴席42席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

小林潤一郎(元早稲田大学教育学部4年)の証拠調べ手続。
小林潤一郎は和田と同じ3つの事件で起訴されている(他の被告人は1〜2件)。
父と伯父が証人として出廷。
教師の父親は中肉中背で黒髪。太い声で早口にしゃべり、せかせかと歩いていた。
父親は40〜50代といったところ。
伯父はとある地方でベニヤ・床板販売業(個人事業主)と林業を営んでいる。
伯父は60代といったところ。
伯父の販売業の年商は1200万円程度。
母親は腹痛を理由に欠席。
約2時間半で閉廷する。
示談は3つの事件でいずれも成立していない。
犯行に加わったが逮捕には至らなかった複数の者の実名が明らかにされた(詳細後述)。
次回期日で論告求刑。おそらく次々回で判決。

(弁護人による被告人質問)
家族構成は両親と妹1人。
妹は事件後、兄に長い手紙を書いた。
高校時代に交際する女性はいなかったが性体験はあった。
その性体験の女性の素性は不明だが、犯罪行為によるものではない様子。
その行為に金銭が介在していたのかは不明。
高校時代からの略歴。
 
1998年 高校2年で早大受験を決める。
2000年04月早稲田大学教育学部に入学(スノーボードサークルに入会するがすぐ辞める)。
2000年 交際する女性ができ、その女性と性交した。
2000年 交際していた女性と別れた。
2000年12月スーフリのイベントに参加し、すぐにスタッフとなった。
スーフリが組織的な輪姦集団であることをすぐに知る。
輪姦に参加したと聞いたのは和田、岸本、若松、サクライ(未逮捕)。
2001年04月輪姦に初参加。
2002年04月スーフリの副代表となる。
2002年12月スーフリを引退し、就職活動に入る(元々1〜3月に公式なイベントはない)。
2003年06月就職活動を終える(事件報道後、内定取消)。
4月下旬に内定が出る。
組織では副代表を務めていた。
もう一人の副代表には辻がいた。
同学年は小林潤一郎と辻の二人だった。
女性の飲ませ方・強姦のやり方はシナガワ(未逮捕)に教わった。
パーティー券は多いときでイベント1回につき300〜400枚さばいていた。
※小林潤一郎の取り分は50〜80万円程度か。
輪姦は強制ではなく、あくまでも構成員の自由だった。
1、2軍15〜20人のうち、輪姦に参加しなかったのは3人。
※週刊文春2003年8月14日・21日号によると1、2軍は17人。
ただし、その3人もスペシャルを飲ませたりブロッキングに参加していた。
その3人は和田に貢献できるなら積極的に手伝おうという姿勢だった。
つまり、東京スタッフ1、2軍全員が輪姦に直接的・間接的に参加していた。
女性スタッフも組織的輪姦行為について認識していた。
のみならず、和田らの輪姦行為が容易になるよう積極的に協力していた。
具体的には、スペシャルを飲ませたりブロッキングする以外に「献上」があった。
「献上」とは、標的になりやすそうな知人の女性を連れて行き、和田にそれを伝えた上で、自身らもブロッキング等で犯行を幇助すること。
2001年12月19日の事件の被害者女性(19)については、「献上」の結果発生したもの。
「献上」した女性スタッフは和田、岸本らと何らかの見返りの約束があった。
見返りの内容については不明。
ただ、そこまでしても「献上」のメリットはあった様子。
その女性スタッフは合意の上で和田や岸本、小林潤一郎らと乱交していた。
小林潤一郎の3件の輪姦のうち2件は就職活動中になされたもの。
就職活動の際、面接では何をアピールしたのかと検察官から皮肉られていた。
※さすがに大学生活を輪姦に打ち込んでいたとは答えなかった様子。
口封じや自らの楽しみのため、被害者女性の写真についても常習的に撮っていた。
写真例:意識不明で全裸で風呂場で嘔吐して倒れている女性。
「お持ち帰り」は原則禁止。そうするためには輪姦に参加することが望ましいとされた。
理由は、和田のおかげで女性と知り合えるのに「お持ち帰り」することは利己的な行為とされたから(ワン・フォア・オール、オール・フォア・和田)。
2003年4月27日の事件の被害者女性(18)は、「私の夢と大学生活を返してほしい」と言っている。
2003年5月18日の事件の被害者女性(20)は、加害者からの示談金は気持ち悪くて受け取れないと言っている。
弁護人は被害者女性の調書を読むと、涙が出てくると発言した。
小林潤一郎は逮捕後、中国語の本を差し入れてもらい勉強している。
出所後は税理士の資格取得を目指す予定。
ただし、合格しても10年間の欠格期間があり、登録・開業等はできない様子。
※懲役(執行猶予付の場合は執行猶予)後5年が欠格期間。
※小林潤一郎の弁護人は5年程度の懲役を想定している様子。

(検察官による被告人質問)
以下のとおり、証言の矛盾点が指摘された。
本日の公判での小林潤一郎の証言
「藤村の調書では自分がみんなに口裏合わせをしようと言ったことになっているが、実際は自分は逮捕されたら本当のことを言おうと言っていた」
ところが、逮捕当時の小林潤一郎の調書は犯行を否認。
「本当に私が合意の上でやったということを警察に証明してもらいたいと思います」
さらに、藤村らも事件当初は同様に犯行を否認していたことが説明された。
この矛盾点が指摘されると小林潤一郎はしどろもどろになった。
そして、検察官が「訂正するか?」と尋ねても無言になった。
その後、おもむろに「当時は急に逮捕されたので混乱していました」と回答した。
検察官はすかさず、小林潤一郎が事件後、藤村、沼崎とともに弁護士のもとへ相談に行っていたことを指摘し、「急に」というのは不自然と追及した。
しかも、そこではさも被害者女性と合意があったかのように説明していたことも併せて指摘された。 
最後には、検察官から「まだ罪を軽くしようと思ってるわけ?」とあきれられていた。

(伯父の証言)
小林潤一郎の母親の兄。
高校卒業後、1966年にベニヤ・床板販売業として独立した(個人事業主)。
とある地方で販売業と林業を兼業している(日曜日に山に入る)。
小林潤一郎の出所後は自分の家に住まわせて資格試験の受験を見守る予定。
それまで何年か準備期間を起き、自身の販売業と林業を手伝わせる予定。
準備期間のことを弁護人は「リハビリ」と呼んでいた。
※事故や病気ではなく常習的な輪姦行為について「リハビリ」の語が妥当かは不明。
とにかく現場で汗を流させたい。
自分の父親が保護司をしていた関係上、被告人の更生の手助けをできると思う。
保護司とは、保護観察処分者の面倒を見る役職。
小林潤一郎とは大学1年の時に横浜の自宅で会ったのが最後。
接見には行っていない。
自身は妻と二人の娘(29歳、19歳)がいる。
出所後に小林潤一郎を住まわせることについて、家族から反対は出ていない。
※小林潤一郎が二人の娘を標的にするか否かは不明。

(父親の証言)
3人とも示談は成立していない。
接見には一回行った。
2003年4月27日の事件の被害者に対する示談金600万円は払えなかった。そのため、相場である200〜300万円を供託することを考えたが中止した。
たかだか乗用車1〜2台分の金額が出せないとは考えにくいことから、仮に600万円を支払った場合、同様の金額を他の二人から請求された場合(合計1800万円)に不動産の処分を検討する必要が生じる可能性があることを考慮し、一切払わないことにしたのではないかとの見方もある。
大学時代にはいろんなことをやれと小林潤一郎に言っていた。
※「いろんなこと」に輪姦が含まれていたのかは不明。
息子が「大学公認で伝統あるサークルに入った」と言ったので信用した。
無断外泊が多かった。
そのため、抜き打ちで息子の部屋を調べるなどしていた。
息子には女性に対する接し方について以下の方針を示していた。
「騙すな」
「嘘をつくな」
※実際には騙して嘘をついた挙句に輪姦行為に及んでいた。
息子は死ぬまで重い十字架を背負って生きていくと認識している。
「今でも自分自身の教育方針は間違っていないと考えている」と答え、検察官から親としての監督不行届きがあったのは明白、とあきれられていた。
中谷雄二郎裁判長から被告人の生活態度はどうだったかと尋ねられた。
父親は答えられず口ごもった。
すると、裁判長は「端的に言えば、スーパーフリーの生活態度はデタラメなんですよ」と冷たくいらだった声で父親に告げた。
弁護人からは繰り返し、重い判決が下るであろうことが告げられた。