裁判の情報2



●第8回公判 2004年1月21日水曜日13:30(第104号法廷)
  傍聴席78席、抽選参加者97人(約1.2倍)

13:30開廷、弁護人による被告人質問(和田真一郎)
→ 和田の大学受験から組織加入・運営、2003年4月19日の新歓パーティーまで。
15:00休憩
15:30弁護人による被告人質問(和田真一郎)
→ 4月27日の事件について。
16:00検察官による被告人質問(藤村翔)
17:00閉廷

藤村翔、和田真一郎、小林潤一郎、沼崎敏行、岸本英之が出廷。
小原恒之弁護士が2度連続で遅刻し、裁判長に叱られていた。

(弁護人(年配の女性)による被告人質問・和田真一郎)
和田は相変わらず染色した長髪。
加えて、黄色のゴムでちょんまげを結っていた。
質問内容はこれまでの報道内容を確認していくようなもの。
組織が大学の公認を外されたのは法政大学からの苦情が原因。
階級制の導入は2002年3月。サヴらと相談して決めた。
ヴェルファーレでの諸経費は150万円(会場・飲料・警備。売上との差額が利益)。
サヴは平成14年に東洋大学を卒業していた。
2時間で約100回ほど質問がなされる。
おそらく和田の弁護人の方針は以下の2点。
「スーフリの「人間を磨く」、「客を楽しませる」という建前を強調して情状酌量を狙う」
(単なる強姦魔ではなかったということの主張)
「計画的・統率的ととられる内容の徹底否認」
とにかく計画的等ととられる内容については徹底的に否認していた。
例えば、スピリタス混入指示の意図:女性を開放的な気分にさせるため。輪姦のためではない。
→以下の藤村等の証言からすると空回りしていた。
次回公判で検察は和田が輪姦に執着していた証拠として証人4人を喚問予定。
証人の4人は関本兄弟と札幌支部の構成員2人(2003年4月に東京のイベントに参加)。
和田担当の年配の弁護士(女性)はあやうく被害者の名前を口にしかけるなど頭が回らない様子。
そのことについて検察官から注意されていた。
また、年齢のせいか動作が緩慢かつ段取りが悪く訴訟手続を遅延させていた。
そのため、裁判長から段取りについて何度か質問されていた。

(検察官による被告人質問・藤村翔)
相変わらず甲高い声で素直に質問に答えていた。
和田とはうってかわり、完全に罪を認め、具体的に証言していた。
いかに和田が組織を統率し、輪姦にこだわっていたかが詳細に説明されていた。
オセロゲームで白の石を黒にひっくり返すように、和田の大嘘を指摘しまくっていた。
1時間で約40回ほど質問がなされる。
自分が組織で最も影響を受けた人物は和田真一郎。
以前、和田率いる輪姦に賛成する鬼畜班とそれに反対する和み班で抗争があった。
結局鬼畜班が優勢で、和み班のメンバーは組織を辞めざるを得ない状況になった。
和田との会話例
スタッフ「この前マワしたあの子はよかったですね」
スタッフ「●●さんは何でマワしに参加しないんでしょうかね」
和田「そうだな。そんなの一人前じゃないよな」
「連帯感」とは、「みんなで悪いことをしている」というスリル感。
2003年4月19日、27日に北海道支部のメンバーを一人ずつ呼んだのは輪姦に参加させるため。
2002年12月の関西イベントでマワしに関して関西支部スタッフとトラブルになった。
和田は「俺の生きがいを奪いやがって」と大変憤慨していた。
その後和田は「連帯感を高めるために地方の鬼畜化が必要」と考えるようになった。
いわゆる「お持ちかえり」はタブーで、吉野が和田や岸本によく注意されていた。
そのくせ和田自身は2003年4月19日の二次会(和民)後に女性と二人で消えた。
和田が暴力を振るうことはよくあった。
自分は事務所の掃除を怠ったことで和田に殴られた。
スタッフの一人は2003年5月の福岡イベントで女性を3次会会場に誘導することに失敗し、和田に殴る蹴るの暴力を受けていた。それは壮絶で思わず死んでしまうのではないかというくらいだった。自分は怖くなってその場から逃げ出してしまった。
輪姦について常連の女性やスタッフ内部から悪評を流されていた。
そのような人間は特定し、出禁(出入禁止)の処分をしていた。
2003年4月27日の事件の後の各人の発言。
小林大輔「まあ大丈夫ですよー」
和田「今日はアツかったよ。ありがとなー」
和田「(小林大輔が被害者の携帯メモリを消去したことについて)いい動きをしたな」
二次会の輪姦をやめたらどうかというスタッフの提言に対する和田の言葉
「ありえない。二次会は俺の生きがいだ」
未逮捕者で通称のびたという構成員が輪姦に参加していたようだ。
和田を最も持ち上げていた人物はサヴか関本雄貴(兄)だと思う。

※今後、藤村翔、小林潤一郎の公判がそれぞれ分離される。

早大ス−パーフリー「レイプ」事件 裁判傍聴記(3) 2004/1/21(SPIKE)
http://www.h5.dion.ne.jp/%7Ecube/0_spike/spike_news/sf/sf_saiban040121.htm
※SPIKE・・・早大生が中心となって編集しているデザイン系フリーマガジン

●第9回公判 2004年1月24日金曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席42席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

関本雄貴・関本隆浩兄弟の証拠調べ手続。弁護人・検察官双方から被告人質問。
約2時間で閉廷する。
関本雄貴(兄)は4〜5センチ程度の短髪にスーツ。
関本隆浩(弟)は坊主頭。紺セーター白シャツ灰ズボン。
両親と伯(叔?)母が傍聴席最前列で傍聴。父親が証人として証言。
父親は車検関係の法人に勤務。
二人の犯罪は親類縁者・近所にも全て知れ渡っており、父親は職場で茨の道を歩んでいる。

(父親の証言)
父親は涙ながらに証言。傍聴席に戻っても何度もハンカチで涙をぬぐっていた。
今後は二人を栃木の親元に置き、しっかりと監督していくと証言していた。
兄の性格は飽きっぽくわがまま。弟のそれはよく言えば穏やか、悪く言えば気弱と表現。
父母は兄弟にそれぞれ2回ずつ東京拘置所に面会に行った。
父親は弁護人を通じ1200万円(600万円×2)を慰謝料として被害者女性側に支払った。
父親が立て替えた1200万円は2人が更生後月々5万円ずつ父親に返済する予定。
その他、兄弟は裁判所に反省文、被害者女性に謝罪文を送付した。
父親は弁護人とともに被害者母親に会おうとしたが断られた。
その代わり、電話で被害者母親に謝罪の気持ちを伝えることが認められた。
それらの結果、2004年1月17日に民事上で被害者側と示談が成立した。
ただし、被害者女性は「刑事処分については一切許さない」と言っている。

(弁護人による被告人質問・関本雄貴:兄)
一応謝罪の言葉を述べてはいるが、暗記したものを棒読みするような非常に薄っぺらい印象。
父親や関本隆浩(弟)のような真摯な反省は感じられない。
スーフリ入会以前は東京ビジュアルアーツ専門学校を中退後、パチンコ店員などを転々としていた。
関本雄貴は2000年の春にスタッフとなった。
パーティー券販売によりイベント1回につき約5万円の利益を上げていた。
輪姦を初めて見たのは2000年の秋。小林潤一郎がツインスター(神楽坂)で行っていたもの。
輪姦に参加したのは計10回ほど。初参加は2001年4月から。輪姦が楽しく罪悪感が麻痺した。
そこで弟の隆浩もスーフリへの入会および輪姦に誘った。
雄貴自身による印象では組織序列は1.和田、2.岸本、3.小林潤、4.サヴ、5.自分といったところ。
2001年秋に形式的に引退した。
2003年4月27日の事件だけではなく立件されなかった4月19日の事件でも輪姦していた。
4月27日の事件では、高山や弟とともにスピリタスや床に敷くマットを車で運搬した。
被害者女性を直接連れ出したのは小泉創一郎。
関本雄貴は13人中4番目に被害者女性を姦淫した。
その後、他の組織構成員に「ヤれるから行った方がいいよ」などと説いて回っていた。
踊り場での輪姦には参加したがその後再度行われた事務所での輪姦には参加していない。
その頃関本雄貴は何食わぬ顔で3次会(男2、女2)をしていた。
和田らが逮捕された後は自分たちが逮捕されたくない一心で口裏あわせ等を行った。
自分が逮捕されるまでの間、被害者の痛みについてはまったく考えなかった。
更生後は自動車やバイクの整備工場で働くことを希望している。
「今後このようなことをしないか」との弁護人の問いに「しないと思います」と返答。
「しないと思います」ではなくきちんと決意しているのかと弁護人に問いただされていた。

(検察官による被告人質問・関本雄貴:兄)
(月々5万円ずつ返済するとの返答に対して)サラ金の金を親に返済させる人間が、どうして600万円もの金をきちんと返せるのかと厳しい叱責を受けていた。
※関本雄貴は遊興費のためにサラ金に多額の借金を負い、親に返済させていた。
本当に反省しているのか、反省とはどういうことなのかと鋭い追及を受けていた。
月々5万円ずつで600万円の返済にどれだけ時間がかかるのかとの問いに、「50年です」などと間の抜けた答えをしていた(600÷(5×12)=10)。

(弁護人による被告人質問・関本隆浩:弟)
2002年4月に兄の雄貴に誘われ入会した。
2002年5月の河口湖での新歓合宿で和田らの輪姦を目撃した。
2002年6月に和田真一郎よりスタッフにならないかと打診された。
隆浩は東京電機大学工学部二部(夜間)のため、一度はそれを断った。
もっとも、結局、2002年12月にスタッフになることになった。
当初は輪姦に反対していた。
もっとも、それは被害者への思いやりからではなく、組織の集客力が鈍るのを嫌ってのものだった。
しかし、結局、2003年4月27日の輪姦で初参加した。
立件されなかった2003年5月15日の輪姦にも参加した。
被害者女性を救うことよりも自身が組織から排除されることを恐れていた。
とはいえ犯行当時未成年であり、また、大学を自主退学した上で真摯な反省の態度を示していることから、隆浩に接する裁判官の態度からするとその心証は悪くはないように思われた。

次回公判では検察官が以下の点について追加の立証を行う。
被害者女性の被告人らに対する処罰感情。
被告人らがアルコール致死量についてどの程度認識していたか。

●第10回公判 2004年1月26日月曜日11:00(第528号法廷)
  抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)

吉野豪洋(法政大学3年)の証拠調べ手続。
吉野豪洋の父親も出廷。
吉野豪洋は被告人質問で号泣していた。

●第11回公判 2004年1月30日金曜日10:00(第528号法廷)
  傍聴席42席、抽選なし(先着順・全員傍聴可)
  ※傍聴券の交付はなく、法廷に直接集合。

小泉創一郎(元産能大学経営学部2年)の証拠調べ手続。
父親と小学校時代からの友人が証人として出廷。
被告人質問はなし(次回に延期)。
2時間弱で閉廷する。
被害者側との示談は成立していない。
小泉創一郎は意気消沈した面持ちで終始うつむいていた。
次回期日に被告人質問(弁護人1時間、検察官30分)と論告求刑。おそらく次々回で判決。

(小学校時代からの友人の証言)
小中大学にわたっての親友。
小泉は神奈川県立大磯高校卒業。
2002年4月のイベントに小泉らと参加した。
それをきっかけにスタッフにならないかと誘われ参加した。
自分はチケットが売れず、大学の授業にも出席できなくなるのでスタッフを辞めた。
スタッフ入会の説明会では特に輪姦をほのめかすような説明はなかった。

※検察官からの指摘
小泉は以下のように調書で述べている。
「和田から「 女を撃てる。女には困らない。お金にも困らない 」と説明された」

小泉は組織に残ったが、100枚以上チケットが売れるようになり、金遣いも荒くなった。
沖縄旅行で女性と性交渉を持ったことを優越感を示して話していた。
この性交渉は輪姦だったが友人には隠していた様子。
小泉はイベントで彼女ができ、自分もその彼女、小泉と一緒に4〜5回遊びに行った。
※この彼女の名前はフルネームで漢字の書き方も合わせて説明された。
  友人公認の正常な交際もできることを訴えたかった様子。
遊びに行った場所は地元平塚のクラブなど。
東京拘置所には2度面会に行った。
小泉が事件に関与していたのを知ったのは小泉の逮捕が報道されてから。
それまで小泉は「俺はやってないやってない」と言っていた。
この証人は検察官に「あなたが小泉の立場ならやっていたか」と質問され、「その場になってみないと分からない」と答えあきれられていた。

(父親の証言)
家族は5人(父母、小泉創一郎、妹二人)。
勉強を教えてやるなど妹思いの兄だった。
高校時代の学力テストで最下位付近の成績だったことでおかしくなった。
高校ではなく中学時代の友人とよく遊ぶようになった。
高校時代に万引で補導された。
麻雀に明け暮れ帰りが非常に遅く、両親が連れ帰ることもたびたびあった。
遅刻が多く、高校3年生の時に出席日数が問題になった。
一浪後産能大学経営学部に入学。SuperFreeに参加。
大学で取得した単位は1年次15単位。2年次前期は0。
退学処分の可能性もあると大学から通知を受け、母親が大学に相談に行った。
6月の和田らの逮捕の報道後、事件に関与していないかを問いただした。
やっていないと答えたので息子を信用することにした。
その後、2003年10月9日に逮捕され、同年10月14日に家宅捜索を受けた。
父親は3回、母親は1回、東京拘置所に面会に行った。
その後、小泉創一郎の申出を受け、大学退学の手続をとった。
賠償に応じる意思はある。
賠償した金額については小泉創一郎に出所後に返済させる予定。

※検察官からの指摘
小泉創一郎は2002年9月の沖縄合宿で輪姦を目撃し、参加した。
その輪姦が初めての性体験だった。